「レオ2世 (ローマ教皇)」の版間の差分

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| 没地 = [[ファイル:Byzantine imperial flag, 14th century, square.svg|border|20x20px]][[東ローマ帝国]]、[[ローマ]]
| 埋葬地 =
| 原国籍 = [[イタリア]]
| 宗派 =
| 居住地 =
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== 生涯 ==
[[シチリア]]出身。[[681年]][[1月10日]]に先代の[[アガト (ローマ教皇)|アガト]]が死去したため、682年に跡を継いで即位した。即位前は[[教皇庁]]の[[聖歌隊]]に属していたため、[[教会音楽]]の発展に寄与している。[[第3コンスタンティノポリス公会議]]に参加し、[[東ローマ帝国]]が圧力をかけてきた際にはキリスト[[単意論]]を唱えた[[ホノリウス1世 (ローマ教皇)|ホノリウス1世]]を批判し、単意論の非難決定を承認した。683年7月3日に死去。
 
== 参考文献 ==
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* 『ローマ教皇事典』([[三交社]])
-->
 
{{History-stub}}
{{ローマ教皇|80代:682年 - 683年}}
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{{Normdaten}}
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[[Category:7世紀の教皇]]
[[Category:シチリア州出身の人物]]
[[Category:683年没]]