「ラビカナ街道」の版間の差分

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'''ラビカナ街道'''(Via Labicana)は[[イタリア]]の古代[[ローマ街道]]の1つで、[[ローマ]]から東南東に延びている。街道は当初[[トゥスクルム]]までだったが、後にLabici(現在の[[モンテ・コンパトリ]]付近)まで延長されたと見られている。ローマから南東に向かう街道は他に[[ラティーナ街道]]があったが、合流地点(Ad Bivium または Compitum Anagninum)までの道のりがどちらもほぼ同じで、ラビカナ街道は[[アルギドゥス山]]を避けて通るため、ラティーナ街道よりも高低差が小さく、ラティーナ街道より好んで使われた可能性がある。合流した後の街道はラビカナ街道ではなくラティーナ街道と呼ばれた。ローマを出て最初の6マイルの経路には対応する現在の道路がないが、舗装と両側の建物が残っているため、容易にたどることができる。
 
ラビカナ街道でローマに入る場合、[[アウレリアヌス城壁]]は[[マッジョーレ門|プラエネスティーナ門]](現 マッジョーレ門)から入り、[[セルウィウス城壁]]は[[エスクイリーナ門]]から入った。[[エスクイリーナ門]]は後に[[ガッリエヌス]]がアーチで装飾を施した。ローマに近い部分の街道は、今ではカシリーナ通りと呼ばれている。この街道沿いにあった[[リウィア・ドルシッラ]]の[[ヴィッラ]]の遺跡から[[最高神祇官]]の格好をした[[アウグストゥス]]の像が出土しており([[:en:Via Labicana Augustus|en]])、現在は[[ローマ国立博物館]]にある。ローマ皇帝[[ディディウス・ユリアヌス]]は[[193年]]に処刑された後、ラビカナ街道の5番目の[[マイルストーン]]の下に埋葬された。
 
== 参考文献 ==
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[[Category:ローマ街道]]