「紀勢町」の版間の差分

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原子力発電所建設計画の歴史
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=== 町名の由来 ===
旧・柏崎村が[[伊勢国]]、旧・錦町が[[紀伊国]]だったことから、紀伊の「紀」と伊勢の「勢」をとって「紀勢」と名付けられた<ref>{{cite web|url=http://www.wakayamashimpo.co.jp/2016/06/20160605_60865.html|title=伊勢路旅(21)三重県度会郡大紀町(2)|author=次田尚弘|date=2016-06-05|work=和歌山さんぽみちプロジェクト|publisher=[[和歌山新報]]|accessdate=2016-07-18|archiveurl=http://web.archive.org/web/20160718144148/http://www.wakayamashimpo.co.jp/2016/06/20160605_60865.html|archivedate=2016-07-18}}</ref>。すなわち、[[合成地名]]である。
 
=== 芦浜原子力発電所 ===
[[1960年代]]から[[2000年]]にかけて町内に[[原子力発電所]]の建設計画が持ち上がり、町を二分する議論が行われた。
その一方で、[[中部電力]]からの[[寄付金]]により、小学校の[[体育館]]や[[公民館]]が建設される<ref>自治体に寄付金厚生 前町長 個人的にもせびる『朝日新聞』1978年(昭和53年)1月22日朝刊、13版、23面</ref>などインフラの整備も進んだ(詳細は[[芦浜原子力発電所]]の項を参照のこと)。
 
=== 沿革 ===
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=== 原発建設計画 ===
1963年(昭和38年)11月に、[[中部電力]]が[[原子力発電所]]の[[熊野灘]]沿岸への立地計画を発表。1964年(昭和39年)に紀勢町と[[南島町]]にまたがる芦浜が計画地に決定([[芦浜原子力発電所]])。以後、2000年に中止が決定されるまで推進と反対を巡って町政は大きく揺れ、住民は二分し、最後まで混乱しする議論が行われた。
その一方で、[[中部電力]]からの[[寄付金]]により、小学校の[[体育館]]や[[公民館]]が建設される<ref>自治体に寄付金厚生 前町長 個人的にもせびる『朝日新聞』1978年(昭和53年)1月22日朝刊、13版、23面</ref>などインフラの整備も進んだ(詳細は[[芦浜原子力発電所]]の項を参照のこと)。
 
== 教育 ==