「アクセプタンス」の版間の差分

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アクセプタンスは、様々な[[信仰]]と瞑想の世界において顕著である。たとえば[[仏教]]の[[四諦]]においては「全ての生は[[苦 (仏教)|苦]](dukkha)である」という真理が述べられており、人生の本質は不満足であることを受容するよう諭している<ref>「生は苦なり、老は苦なり、病は苦なり、死は苦なり」[[初転法輪]], [[南伝大蔵経]]</ref>。ユダヤ教の[[カバラ]]という語も、アクセプタンスと同意である。
 
マジョリティ側がマイノリティ側を[[社会的排除]]しないであろう社会において、[[社会的少数者|マイノリティ集団]]([[LGBT]]など)は多くの場合、自分たちの目標を「受容」と表現する。一方、マジョリティがマイノリティの[[社会参加]]を特定の分野のみに限定している場合、少数派を「許容」していると言えるかもしれないが、「受容」しているとは言えない。<!-- 原文(oldid=752367250):Minority groups in society often describe their goal as "acceptance", wherein the majority will not challenge the minority's full participation in society. A majority may be said (at best) to "tolerate" minorities when it confines their participation to certain aspects of society. Acceptance is the fifth stage of the Kübler-Ross model (commonly known as the "stages of dying"). -->
社会における[[社会的少数者|マイノリティ集団]]([[LGBT]]など)は、自身らのゴールを「受容」と表現することが多く、少数派の社会への完全参加については大多数が求めていないであろう。多数派は社会における特定シーンに対し、少数派の参加を限定する場合、彼らを「(せいぜい)許容」すると表現するだろう。
 
== 種類 ==