「東京都立烏山工業高等学校」の版間の差分

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学力・素行の問題
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*〒157-0061 世田谷区北烏山九丁目22-1
:(跡地・引継校は、世田谷泉高等学校となっている)
 
== 学力・素行の問題 ==
1959年、文部省のモデル工業高校として開校。当時は東洋一と呼ばれる施設を有し、優秀な生徒が集まっていたが、徐々に入学希望者の質が悪化。入学試験の数学では、10点以下の生徒が60人という年も出るようになった。学校側は中学校の授業についていけなかった生徒に補習事業を用意したが生徒側が拒絶、対立構造が生じた。[[1970年代]]に入ると生徒の非行や暴力事件も多発し手に負えない状況となったため、[[1974年]]から学校側は学習態度が悪い生徒に対して早期に進路を転換するよう働きかけを始めた。この結果、同年の入学者310人からは[[退学]]者が続出し、卒業時に210人に減ることとなった。[[1978年]]に行われた日教組の[[教育研究全国集会]]において烏山工業高校の報告が行われると「新入生の1/3を退学させておいて教育といえるのか」との反論も出たが、生徒の質は向上していった<ref>職業高校 ある決断 やる気のないものは去れ 三年間で百人退学『朝日新聞』1978年(昭和53年)1月29日朝刊、13版、23面</ref>。
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==