「中国語」の版間の差分

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[[1917年]]には、[[陳独秀]]の発行する雑誌『[[新青年 (中国)|新青年]]』誌上において、[[胡適]]を中心として書き言葉を「文語体」(文言文) から「口語体」へ変えようとする動き([[白話運動]])が広がり、[[文学革命]]が起こった<ref>「近現代中国における言語政策 文字改革を中心に」p45 藤井(宮西)久美子 三元社 2003年2月28日初版第1刷発行</ref>。[[魯迅]]の『[[阿Q正伝]]』などがこの運動の中で生み出された。[[1919年]](民国8年)、[[北京大学]]教授の[[銭玄同]]は、雑誌に寄稿して文字改革を訴えて漢字の廃止を主張し、新文化運動の中心人物となった。
 
[[第二次世界大戦]]後、[[1949年]]に[[中国大陸]]に成立した[[中国共産党]]による[[中華人民共和国]]においても、標準語の制定と言語統一は引き続き追求された。ただし発音的には「國語」がすでに確立され、中華民国統治期にすでに全国に普及していたため、基本的にこれを踏襲する姿勢を取った。ただし「國語」は日本語からの借用語であったため、「[[普通話]]」と名を改めることとした<ref>「近現代中国における言語政策 文字改革を中心に」p123 藤井(宮西)久美子 三元社 2003年2月28日初版第1刷発行</ref>。これに対し、台湾へと逃れた中華民国政府は引き続き「國語」という用語を使用し続けた<ref>「近くて遠い中国語」p58-60 阿辻哲次 中央公論新社 2007年1月25日発行</ref>
 
中華人民共和国政府は発音の面では中華民国政府の政策を踏襲したが、文字の面では大規模な改革に踏み切り、正書法として従来の漢字を簡略化した[[簡体字]]が[[1956年]]に採用された。また、言語の統制機関として[[1954年]]に中国文字改革委員会が設置され、[[1985年]]には国家語言文字工作委員会と改称された<ref>「近現代中国における言語政策 文字改革を中心に」p127 藤井(宮西)久美子 三元社 2003年2月28日初版第1刷発行</ref>。
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中国では文章語は古代より統一されていたが、口語は各地方ごとに異なり、同じく漢字の発音も各方言ごとに異なっていた。この状況の解消を目指し、20世紀初頭から中盤にかけて[[北方語]]の発音・語彙と近代口語小説の[[文法]]を基に「'''[[普通話]]'''」({{Unicode|pǔtōnghuà}})が作られた。人民の意思疎通を容易にするため、[[中華人民共和国|中国]]では中央政府の[[言語政策|標準語政策]]により積極的に普通話の使用が推進され、[[教育]]や[[放送]]で取り入れられ、[[標準語]]・[[共通語]]とされている。一般的に、全人口の8割程度が普通話を理解するといわれ、方言話者の若い世代は普通話との[[二言語話者|バイリンガル]]となっていることが多い。2017年には、中国国民のおよそ80%が普通話を使用することができ<ref>{{Cite web|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3304762|title=標準中国語、普及率約8割に 極度貧困地域では約6割|accessdate=2021年5月10日|publisher=AFP}}</ref>、[[2000年]]の53%から大幅に増加したことが報じられた<ref>[http://j.people.com.cn/n3/2017/0915/c206603-9269302.html 「中国、29種類の文字 普通話の普及率が73%に」]2017年09月15日 人民網日本語版 2018年7月17日閲覧</ref>。
 
[[台湾]]においても、日本の敗戦後に施政権を握った[[中華民国]]政府が「'''[[国語 (中国語)|国語]]'''」({{Unicode|guóyǔ}})(「普通話」とほぼ同一で相互理解は可能だが音声と語彙に差異がある)による[[義務教育]]を行っている<ref>「近くて遠い中国語」p60 阿辻哲次 中央公論新社 2007年1月25日発行</ref>
 
[[シンガポール]]や[[マレーシア]]などの[[東南アジア]]の地域では、普通話や中華民国国語に似ている標準中国語が一般的に「'''華語'''」({{Unicode|huáyǔ}})と呼ぶ。
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== 表記 ==
中国語の共通文字体系である[[漢字]]の歴史は古い。漢字は[[中国]]独自の[[文字]]で、[[ラテン文字]]などの[[アルファベット]]と異なり、[[音節文字]]であり[[表意文字]]である。漢字は大量かつ複雑な容姿をした部品を用い、かつ不規則な読み方をし、[[異体字]]や類義の字も多いため、習得に長期間を要し、経済的にも効率が悪いといった趣旨の否定的な評価から、文字の簡略化や[[ラテン文字]]への移行を求める動きが民国期以降盛んとなり、簡体字や拼音表記の開発へとつながっていった<ref>「中国語の歴史 ことばの変遷・探究の歩み」(あじあブックス) p15-18 大島正二 大修館書店 2011年7月20日初版第1刷</ref>。実際に[[朝鮮民主主義人民共和国]]や[[ベトナム]]では漢字を廃止した<ref>「近くて遠い中国語」p127 阿辻哲次 中央公論新社 2007年1月25日発行</ref>
 
上記の動きに伴い、[[中国大陸]]の[[中華人民共和国]]では[[1956年]]に、字画が少なく読みや構成にも統一性を高めた[[簡体字]]が正式採用された<ref>「中国語の歴史 ことばの変遷・探究の歩み」(あじあブックス) p17 大島正二 大修館書店 2011年7月20日初版第1刷</ref>。簡体字は、中国全土で使用されることが中央政府によって義務化され、[[シンガポール]]も中国語(華語)の表記に採用した。これに対して、中華民国([[台湾]])、[[香港]]、[[マカオ]]では、基本的に簡体字以前の字体を維持した[[繁体字]](正体字)が使われている<ref>「中国語の歴史 ことばの変遷・探究の歩み」(あじあブックス) p36 大島正二 大修館書店 2011年7月20日初版第1刷</ref>。