「金剛峯寺」の版間の差分

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*'''不動堂'''([[国宝]]) - [[建久]]8年([[1197年]])上皇の皇女八條女院内親王の発願により[[行勝 (木食)|行勝]]上人が創建{{Sfn|図会高野山|2014|p=32}}。現在の堂は[[14世紀]]初頭に再建で、高野山内では金剛三昧院多宝塔に次ぎ、2番目に古い建築物{{Sfn|はじめての空海|2018|p=127}}。高野山内の一心院谷から、[[1908年]](明治41年)に現在地に移築された。桧皮葺(ひわだぶき)、入母屋造の住宅風仏堂である。当初は阿弥陀堂であったと推定されるが、後に本尊の[[不動明王]](重要文化財)と[[運慶]]作の[[不動明王#八大童子|八大童子]]像(国宝)が奉安され、現在いずれも霊宝館に移されている。堂の四隅の形状がそれぞれ違い、四隅それぞれを四人の工匠が随意に造ったためと伝わる<ref>{{Cite web|url=http://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#fudodo|title=不動堂/壇上伽藍/名所一覧|accessdate=2021.2.16|publisher=高野山真言宗総本山金剛峯寺}}</ref>。近年の解体修理報告書によると元来、僧侶が臨終を迎えるための堂だったとの説がある{{Sfn|はじめての空海|2018|p=127}}。屋根が桧皮葺のため境内で火災が発生した場合、類焼しやすいため屋根にドレンチャーを設置し、バルブを開けると桧皮葺屋根がドレンチャーからの水膜で覆われるようになっている。高野山内では、檀上伽藍の御影堂、徳川家霊台の2棟、奥の院の経蔵、金剛三昧院の多宝塔など計6棟に、地上に放水銃を設置しているが、屋根にドレンチャーを設けているのは不動堂だけである<ref>{{Cite web|url=http://hashimoto-news.com/news/2015/01/27/26192/|title=国宝・不動堂、水幕が覆う|accessdate=2020.12.14|publisher=橋本新聞}}</ref>。
*'''蓮池''' - 名の由来は、昭和の頃まで蓮の花が咲き誇っていたため。[[明和]]年間([[1764年]] - [[1772年]])に度々の干ばつで民衆が苦しんでいたため、明和8年([[1771年]])頃、善女竜王像と仏舎利を池の中島の祠に祀ったと伝わる。[[1996年]](平成8年)橋と祠を修復<ref>{{Cite web|url=http://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#hasuike|title=蓮池/壇上伽藍/名所一覧|accessdate=2021.2.16|publisher=高野山真言宗総本山金剛峯寺}}</ref>。
*'''大会堂(だいえどう)''' - [[安元]]元年(1175年)[[鳥羽天皇|鳥羽上皇]]の皇女五辻斎院[[頌子内親王]]が父の追福のため創建。もとは東別所にあったが西行法師が、長日不断談義の学堂として現在地に移し蓮華乗院と称していた。後に法会の集会堂になり、現在の堂は[[嘉永]]元年([[1848年]])再建。本尊は阿弥陀如来{{Sfn|図会高野山|2014|p=32}}。
*'''三昧堂(さんまいどう)''' - [[延長 (元号)|延長]]7年([[929年]])初代創建、もとは総持院境内にあったが、[[治承]]元年([[1177年]])西行法師が現在地に移した。現在の堂は[[文化]]13年([[1816年]])再建。金剛峰寺座主済高が創建し、堂内で理趣三昧の法要を行っていたことから、この名がついた。堂前の桜は、西行法師手植の桜と伝わるが元の桜は枯れ、植え替えられ、現在も西行桜とよばれている{{Sfn|図解高野山|2014|p=33}}。
*'''東塔(とうとう)''' - [[大治]]2年([[1127年]])初代創建、尊勝仏頂尊と不動明王・降三世明王を祀る。弘法大師入定1150年御遠忌記念事業で1984年再建。白河上皇の御願により醍醐寺三宝院[[勝覚]]権僧正が創建{{Sfn|はじめての空海|2018|p=31}}。