「李登輝」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
116行目:
 
=== 継承第7期総統(1988年 - 1990年) ===
1988年1月13日、蔣経国が死去<ref>若林(1997)p.177、本田(2004)p.121</ref>。蔣経国は臨終の間際に登輝を呼び出したが、秘書の取次ミスにより、臨終には立ち会えなかった{{Sfn|本田|2004|p=|pp=146-148}}。任期中に総統が死去すると副総統が継承するとする[[中華民国憲法]]第49条の規定により、登輝が総統に就任する{{要出典|date=2021-05}}。国民党主席代行に就任することに対しては蔣介石の妻・[[宋美齢]]が躊躇し主席代行選出の延期を要請したが、当時若手党員だった[[宋楚瑜]]が早期選出を促す発言をしたこともあり主席代行に就任する{{Sfn|本田|2004|p=|pp=148-150}}。7月には第13回国民党全国代表大会で正式に党主席に就任した。
 
しかし登輝の政権基盤は確固としたものではなく、李煥・[[郝柏村]]・{{仮リンク|兪国華|zh|俞國華|label=}}ら党内保守派がそれぞれ党・軍・政府(行政院)の実権を掌握していた。この後、登輝はこれらの実力者を牽制しつつ、微妙なバランスの中で政権運営を行っていった{{Sfn|本田|2004|p=|pp=148-150}}。