「マッシリア包囲戦」の版間の差分

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|combatant1=[[オプティマテス|元老院派]]
|combatant2=カエサル派
|commander1=[[ルキウス・ドミティウス・アノバルブス (紀元前54年の執政官)|ドミティウス・アノバルブス]]<BR/>ルキウス・ナシディウス
|commander2=[[デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|デキムス・ブルトゥス]]<BR />[[ガイウス・トレボニウス]]
|strength1=軍船43隻以上
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== 概要 ==
=== 開戦まで ===
[[紀元前49年]][[1月10日]]、[[ルビコン川]]を渡ってイタリア本土へ軍を進めたカエサル軍に対して、元老院派の[[ルキウス・ドミティウス・アノバルブス (紀元前54年の執政官)|ルキウス・ドミティウス・アノバルブス]]はコルフィニウム(現:[[コルフィーニオ]])で籠城したが、不利と悟ったドミティウスはコルフィニウムより落ち延びた。
 
ドミティウス自身がこの年にガリア総督であったことや[[グナエウス・ポンペイウス]]の強固な支持基盤であったこともあって、[[マッシリア]]住民はドミティウスを迎え入れた上で、元老院派へ組する方針を固めた。ドミティウスは来るべきカエサル派との戦闘の最高責任者に任じられると、食糧を備蓄し、貨物船・軍船を整備する等、マッシリアの防衛体制を整えた。