「サムスン電子」の版間の差分

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==== 日本との関係 ====
{{see also|シャープ#競合他社への革新技術供与|東芝#DRAM}}
* [[1986年]]、[[東芝]]半導体事業本部長川西剛{{efn2|後年、代表取締役副社長に就く。}}は国際担当専務の仲介で李秉喆会長や幹部総出の[[VIP]]歓迎を受けて建設途中の半導体工場を視察し、見返りに当時世界最大容量1[[メガビット]][[DRAM]]を開発中の最新鋭[[大分]]工場を見学<ref>[http://www.nhk.or.jp/special/topics/top2_0503a.html 2005年12月25日放送『NHKスペシャル 日本の群像、再起への20年』]</ref>させている。1986年、三星電子も1メガビットDRAMを開発し、東芝大分工場生産ラインを統括担当する製造部長を[[スカウト (勧誘)|スカウト]]して大分工場と同等設備を有する製造工場を建設している<ref name="nhk2005" />。
* [[1987年]]5月にアメリカと日本へ研究所を設立し、[[1988年]]に半導体事業売上高9億5百万[[ドル]]で半導体メーカー売上高ランキング18位になる。
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*[[経済産業省|通産省]]が日の丸半導体の先端優位を続けるため[[1996年]]に始めたコンソーシアム「半導体先端テクノロジーズ」に日本メーカー10社以外にも、国際化する世界半導体業界の傾向に鑑み、サムスン電子の加入を受け入れる。しかし、結果的には日本メーカーの復活ではなく、サムスンの国際化と先端製造技術の獲得に繋がり、2000年代以降NECなどの日本メーカーが次々半導体から撤退するとまた多くのエンジニアがサムスンに流れることになる<ref>{{Cite web|title=日本の半導体はなぜ沈んでしまったのか?|url=https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/12/post-11458.php|website=Newsweek日本版|date=|accessdate=2018-12-24|language=ja}}</ref>。
* 半導体メーカー売上高ランキングでは1991年は14億7千3百万ドルで12位、[[1995年]]は83億2千9百万ドルで6位、[[2002年]]から[[2016年]]まで米国[[インテル]]に次ぎ2位である。
*日本最後のDRAMメーカーである[[マイクロンメモリジャパン|エルピーダ]]が2012年に破綻すると残りのDRAM大手3社(サムスン・ハイニックス・マイクロン)の業況は持ち直し、特に[[2017年]]よりはDRAM業界が空前の好景気に入り、2017年と[[2018年]]のサムスンのシェアランキングは1位となる。
 
=== 2000年代から現在まで ===