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== 生涯 ==
=== 若き日 ===
名族陽夏謝氏に生まれ、大いに将来を期待されていたが、若い頃は出仕せずに[[王羲之]]と交流を深め、[[清談]]に耽り、悠々と暮らしていた。
 
[[360年]]、40歳で初めて仕官し、桓温の司馬となった。やがて桓温から離れて中央に戻り[[侍中]][[吏部|吏部尚書]]に就任した。
 
当時の桓温の勢力は東晋を覆い、[[桓温]]は簒奪の野望を見せていて、[[簡文帝 (東晋)|簡文帝]]の死後に即位した[[孝武帝 (東晋)|孝武帝]]からの禅譲を企てた。しかしこれに対して謝安は[[王坦之]]と共に強硬に反対し引き伸ばし工作を行った。結果、老齢の桓温は死亡、東晋は命脈を保つことになる。
 
=== 寧康元年 ===
桓温の死後の[[373年]]に[[僕射|尚書僕射]]となり、東晋の政権を握る。
 
=== 淝水の戦い ===
==== 事前の経緯 ====
東晋では[[大司馬]][[桓温]][[373年]]に死去すると、謝安を[[僕射|尚書僕射]]となり、東晋の政権を握る。兵権は'''謝安'''と桓温の末弟の[[桓沖]]に委ねられていた{{Sfn|駒田|常石|p=121}}。謝安は前秦の勢力拡大、並びに北方や西方に迫る脅威に対抗するため、兄の謝奕の子すなわち甥の[[謝玄]]を将軍に任命し、この謝玄の下で[[劉牢之]]らを参謀に登用して精強な北府軍を創設した。
 
[[383年]]、[[華北]]を統一した[[前秦]]の[[苻堅]]は中国の統一を目指して百万と号する大軍を南下させてきた。
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== 謝安を題材とした作品 ==
*「蜘蛛人謝安」 [[王順鎮]]著 [[実学社]]([[台湾]])
 
== 参考文献 ==
*[[下中邦彦]]編『アジア歴史事典 4』[[平凡社]]、1960年。
*[[井波律子]]『裏切り者の中国史』[[講談社]]、1997年。
 
== 脚注 ==
<references />
 
== 関連項目 ==
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* [[車胤]]
* [[集帖]]
 
 
 
{{Chinese-history-stub}}
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[[Category:320年生]]
[[Category:385年没]]
<references />{{Authority control}}