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== 生涯 ==
領敦寧府事・韓浚謙(ハン・ジュンギョム)と黄氏の娘として生まれ、第14代王・[[宣祖]]の「遺教七臣」の一人であった。[[永昌大君]]を擁立しようとして疑われ流刑された。韓氏は政治の恐ろしさに身を知り慎重に期した<ref name="王妃たちの朝鮮王朝 P.216">『王妃たちの朝鮮王朝』P.216</ref>。
 
韓氏は17歳の頃、[[定遠君]](宣祖と仁嬪金氏の息子)の長男・綾陽君と結婚し「清城夫人」に冊封され、[[昭顕世子]]、[[孝宗 (朝鮮王)|鳳林大君]]ら4人の息子を儲けた<ref name="王妃たちの朝鮮王朝 P.217">『王妃たちの朝鮮王朝』P.217</ref>。