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'''ウィリアム・ハリソン・ライカー'''(William Harrison Riker, [[1920年]][[9月22日]] - [[1993年]][[6月23日]])は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[政治学者]]。
[[アイオワ州]][[デモイン]]生まれ。[[1948年]]、[[ハーヴァード大学]]で[[Ph.D.]](博士号)を取得した。その後[[ウィスコンシン州]]アップルトンにあるローレンス大学で助教授となり、後に教授に昇格。[[1962年]][[ロチェスター大学]]に移り、同年から[[1977年]]まで政治学部長を務める。1977年以降もロチェスターに残り教授として奉職する。[[1982年]]から[[1983年|83年]]にかけては、[[アメリカ政治学会]]会長を務めた。
ライカーはまず、伝統的手法によるアメリカ政治の実証分析でその経歴をスタートさせた。しかし[[1950年代]]半ばから方法論的個人主義を取り入れ、[[合理的選択理論]]を自身の政治分析に応用するようになる。その後、[[ゲーム理論]]や[[フォーマル・セオリー]](フォーマル・メソッド)を政治学に導入した。その契機となったのが1962年の著書''The Theory of Political
ライカーはロチェスター大学政治学部長として、同学部の教育水準の向上に取り組んだ。その結果ロチェスター大学の政治学のプログラムは全米有数との評価を得るようになった。現在でもロチェスター大学政治学部の教育内容は高く評価されている。特にライカーの専門である政治学における数理分析、すなわち実証政治理論の分野では長年拠点校として中心的な位置を占めてきた。そのため、実証政治理論をロチェスター学派と呼称することもしばしばであった。門下生からは[[ピーター・オードシュック]]([[カリフォルニア工科大学]]教授)、[[リチャード・マッケルヴィー]](故人,元[[カリフォルニア工科大学]]教授)、[[ケネス・シェプスリ]](ハーヴァード大学教授)などの実証政治理論及び[[政治経済学]]の第一人者を輩出している。
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