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'''傅 幹'''(ふ かん、[[175年]] - ?)は、[[中国]][[後漢]]時代末期の政治家。字は'''彦材'''、または'''彦林'''。小字(幼名)は'''別成'''。[[本貫]]は[[涼州]][[北地郡]]霊州県(現在の[[寧夏回族自治区]][[呉忠市]][[利通区]])。父は[[傅燮]]。子は[[傅玄]]。
 
== 事跡経歴 ==
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『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』魏書武帝紀によれば、傅幹の官位は丞相倉曹属で終わったとあるが、『[[後漢書]]』傅燮伝によれば[[扶風県|扶風]]太守まで至ったとある。
 
小説『[[三国志演義]]』でも、史実同様に曹操の南征を諌める場面で登場している。しかしここでは史実と異なり、曹操はこの諫言を受け入れている。また、元馬騰の配下であったことは記されていない
 
== 参考文献 ==