削除された内容 追加された内容
旧暦修正
38行目:
 
没後の[[応長]]元年([[1311年]])、[[花園天皇]]から「聖一」の[[国師]]号が贈られた。[[頂相]]も比較的多く残っており、3種類に大別できる。また自賛像だけでも、[[南禅寺]][[天授庵]]に1点([[重要文化財]])、万寿寺に1点(重文、[[京都国立博物館]][[寄託 (日本法)|寄託]])、東福寺に4点が確認されている。
 
 
宋から帰国の際、寧波から出向した船団のうち二艘は沈み、円爾の乗り合わせた一艘のみが高麗を経由して博多に到着できた。円爾が収集し輸入した書籍は「普門院論章疏語録儒書等目録」(「普門院蔵書目録」)などにリスト化されており、禅宗関連の書籍のほか、仏教の経典や論書、天台系の論書や解説書、さらに儒教系の典籍、医学書など、様々な分野の数千巻に及ぶ宋版などをもたらした<ref>{{Cite web
| url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/53/2/53_2_592/_pdf
| title=聖一派の入宋・入元僧について ―円爾の東福寺僧団と宋元の禅宗ー
| format=PDF
| author=佐藤秀孝
| accessdate=2021-06-02
}}</ref>。
 
== 博多祇園山笠の生みの親 ==