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'''アンブロワーズ・アブド'''(Ambroise Abdo、[[1820年]][[1月8日]] - [[1876年]])は、[[:en:Melkite Greek Catholic Archeparchy of Jerusalem{{仮リンク|メルキト・ギリシャ典礼カトリック教会]]|en|Melkite Greek Catholic Patriarchal Dependent Territory of Jerusalem}}の[[司教]]であった
 
==経歴==
アブドは[[1860年]]に[[エルサレム]]の使徒座代理区に任命され、[[1860年]][[4月1日]]メルキト総主教[[:en:Clement Bahouth{{仮リンク|クレメント・バハウス]]|en|Clement Bahouth}}によって[[叙階]]され[[司教]]となった。アブドの共同奉献者は、[[ダマスカス]]出身の[[:en:Gregory Atta{{仮リンク|グレゴリー・アッタ]]|en|Gregory Atta}}、ホムスの大司教、エパルキア・ジャック・ヘリアーニであった。[[1864年]]にアブドは[[エジプト]]と[[スーダン]]の総主教[[牧師]]に任命された。[[1866年]][[11月15日]]、アブドはメルキト・ギリシャ典礼カトリック大司教のザーレとフォルゾルの司教に任命された。
 
1869-年から1870年にアブドは[[ローマ]]の[[第1バチカン公会議]]に参加した。1875年12月24日、彼は再び[[エルサレム]]の使徒座代理区に任命され、[[1876年]]に亡くなるまでその地位を維持していた。
 
==外部リンク==
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{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:あふと あんふろわあす}}
[[Category:カトリック教会司教]]
[[Category:イスラエルのキリスト教徒]]
[[Category:東方カトリックの信者]]
[[Category:オスマン帝国の人物]]
[[Category:1820年生]]
[[Category:1876年没]]