「成務天皇」の版間の差分

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== 宮 ==
[[File:Legendary Imperial Palace of Emperor Seimu.jpg|thumb|220px|right|{{center|高穴穂宮趾碑<br />([[滋賀県]][[大津市]])}}]]
都は[[高穴穂宮|志賀高穴穂宮]](しがのたかあなほのみや、現在の[[滋賀県]][[大津市]][[穴太_(大津市)|穴太]])。『日本書紀』には都の記載は無いが、先代の[[景行天皇]]の行宮がそのまま宮となったと推定される。『古事記』に「若帯日子天皇、[[近江国|近つ淡海]]の志賀の高穴穂宮に坐しまして、天の下治らしめしき」とある。「若帯部」が美濃国にあったことが、[[大宝 (日本)|大宝]]2年([[702年]])の戸籍にみえる。<ref>[[#直木|直木(1979)p.125]]</ref>。成務天皇を架空と見る立場からは、[[天智天皇]]の[[近江宮]]のモデルを過去に投影した創作とする。
 
== 陵・霊廟 ==