「五百木良三」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
+出典の明記,normdaten
5行目:
 
== 人物 ==
[[伊予国]][[温泉郡]]小坂村新場所(現・[[愛媛県]][[松山市]]日の出町)の生まれ。[[明治]]18年([[1885年]])松山県立医学校に入学した。明治20年([[1887年]])[[大阪市|大阪]]に出て、[[今橋 (大阪市)|今橋]]の町医者のもとに寄寓し、医務手伝いのかたわら勉学にはげみ、19歳で医術開業の免許を得たが、その志は「病を癒さんより国を癒すの医」たらんとするものであった。
 
明治22年([[1889年]])上京して、旧藩主久松家の設立になる東京学生寮でドイツ語の研究に専心し、[[正岡子規]]と文学を論じ、子規から俳句の指導をうけた。明治23年(1890年)徴兵に合格し、陸軍看護長に採用され、青山の[[近衛連隊]]に入営し、明治25年([[1892年]])まで軍隊生活をおくった。[[日清戦争]]で明治27年([[1894年]])6月、[[第5師団 (日本軍)|第五師団]]にしたがって出征し、筆名「大骨坊」で従軍日記を「[[日本 (新聞)|日本]]」に1年間連載した。