「ゴジラ (1954年の映画)」の版間の差分

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{{注意|クレジットなどで確認できない[[スーツアクター]]の役柄を記載する場合には、'''必ず[[Wikipedia:信頼できる情報源|信頼可能な情報源]]からの[[Wikipedia:出典を明記する|出典を示してください]]。'''出典の無い情報については、[[Wikipedia:独自研究は載せない]]に基づき一定期間ののち除去されるおそれがあります([[プロジェクト:特撮/スーツアクターの役名記載について]]での議論に基づく)}}
{{Pathnav|[[ゴジラ|ゴジラシリーズ]]|frame=1}}
{{Infobox Film
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| 製作国 = {{JPN}}
| 言語 = [[日本語]]
| 製作費 =
| 製作費 = {{要出典|公称7,000万円|date = 2019年11月28日}}
| 配給収入 = 1億5,214万円<ref>『[[キネマ旬報]]ベスト・テン85回全史 1924-2011』([[キネマ旬報社]]、2012年)112頁</ref>
| 次作 = [[ゴジラの逆襲]]
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== あらすじ ==
ある年の8月13日19時5分に[[小笠原諸島]]近海の[[緯度|北緯]]24度[[経度|東経]]141度2分{{Efn|ここは、[[小笠原諸島]]を構成する[[南硫黄島]]の[[西南西]]約49.5[[キロメートル]]の地点に当たる<ref>{{cite journal|和書|date=2016-09-30|author=犬塚康博|title=ゴジラ起源考 A Consideration of the Origin of the Godzilla (1954 film) |url=https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/100543/S18834744-33-p044-INU.pdf|format=PDF|magazine=千葉大学人文社会科学研究|volume=33|publisher=[[千葉大学|千葉大学大学院]][[人文社会科学研究科]]|page=47|issn=1883-4744|naid=120005907473|accessdate=2019-04-12}}</ref>。}}付近において南海汽船所属の[[貨物船]]「栄光丸」が突然[[SOS]]を発信して消息を絶ち、それを受けて現場に急行した同社所属の貨物船「備後丸」も同じ地点で消息不明になる。その後、大戸島{{Efn|「おおとじま」という読み方が定着しているが、劇中では「おおどしま」と発音される。}}の[[漁船]]が生存者3名を救助したとの知らせが入るが、その漁船もまた消息を絶つ。やがて漁師の山田{{ruby|政治|まさじ}}が大戸島の砂浜に漂着し、「やられただ...船ぐるみ」と言い残して意識を失う。島へ取材に来た毎朝新聞記者の萩原からインタビューを受けた政治は「確かに大きな生き物だった。不漁なのもその生き物が海の中で暴れているせいだ」と語り、島の老漁師{{Efn|[[高堂国典|高堂國典]]が演じたこの老漁師は、「本物のゴジラより怖そうだ」として、撮影現場では「本ゴジ」と渾名された{{要出典|date=2019-04-07}}。}}は、一連の事態は大戸島に古くから伝わる海の怪物「呉爾羅(ゴジラ)」の仕業であり、ゴジラは海のものを食い尽くすと陸に上がってきて人間さえも食らうため、昔は若い娘を[[生贄]]にして遠い沖へ流すことでゴジラを鎮めていたと言う。その夜、暴風雨の中を何かが重い足音を響かせて島に上陸し、家屋を次々と破壊して住民や家畜を殺戮する。このとき政治と母のくにも押し潰された自宅家屋の下敷きとなってともに命を落とし、政治の弟の新吉だけが助かる。亡くなった政治と「くに」は大戸島の共同墓地に埋葬される。「調査団のメンバーとして大戸島に到着した山根・恵美子・尾形の3人は、まず島の共同墓地を訪れ犠牲者らの冥福を祈る。このとき3人は孤児となった新吉と出会い、政治とくにの[[板塔婆|卒塔婆]]に手を合わせる{{Efn|これは脚本の「49. 海に面した共同墓地」に当たるシーンであり{{Sfn|ゴジラ1954|1999|p=79}}、石鏡ロケの際に撮影されたものの最終的にはカットされ、本作品には登場しない。しかし、このシーンではカメラマンの田中一清が11枚のスナップ写真{{Efn|ポスターやスチルといった映画の宣材の素材となる写真。撮影順に整理番号がつけられ、宣伝部が管理する{{Sfn|ゴジラ1954|1999|p=166}}。}}(No.265 - No.267, No.500 - No.507)を撮影しており{{Sfn|ゴジラ1954|1999|p=185, 195}}、No.507のスナップ写真に写った3本の真新しい卒塔婆から政治の享年は24、くにの享年は48であることが確認できる{{Sfn|ゴジラ1954|1999|p=195}}{{Sfn|研究読本|2014|p=35}}。}}。
 
大戸島での大被害を受けて[[古生物学|古生物学者]]の山根恭平博士は至急、調査団を編成して調査する必要があるとの見解を[[国会 (日本)|国会]]で発表し、大戸島への調査団の派遣が決まった。調査団には山根と娘の恵美子、恵美子の恋人で南海サルベージ{{Efn|脚本では「東京湾{{ruby|水難救済会|サルベージ}}」とされているが{{Sfn|ゴジラ1954|1999|p=76}}、作品中では所長室のドアに「南海サルベージKK」と記されている。}}所長の尾形秀人、物理学者の田辺博士らも参加することになったが、出発の日、大戸島へ向かう[[海上保安庁]]の[[巡視船]]「[[ちふり型巡視船|しきね]]」{{Efn|脚本では、尾形秀人はサルベージ(海難救助船)「かもめ丸」の船長兼所長であり、調査団は尾形が船長を務める「かもめ丸」で大戸島へ向かうこととされていた{{Sfn|ゴジラ1954|1999|pp=76, 78}}。しかし撮影にあたり、調査団は海上保安庁の巡視船「しきね」で大戸島へ向かうとのストーリーに急遽変更された。}}{{Efn|[[1954年]][[3月1日]]に[[ビキニ環礁]]で[[アメリカ軍]]の実施した[[水素爆弾]]実験「[[ブラボー実験]]」に遭遇し、死の灰を浴びた[[第五福竜丸]]を[[東京]]に曳航したのも[[海上保安庁]]の[[巡視船]]「[[ちふり型巡視船|しきね]]」である<ref>{{cite journal|和書|date=2012-03|author=猪俣賢司|title=発光する背びれと戦後日本 : 核兵器とゴジラ映画史|url=http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp/dspace/bitstream/10191/17744/1/|format=PDF|magazine=人文科学研究|volume=130|page=Y3頁|publisher=[[新潟大学]][[人文学部]]|issn=0447-7332|naid=120005239665|accessdate=2019-04-07}}</ref>。}}に乗船した恵美子は見送りの人々の中に元婚約者の芹沢大助博士の姿を認める。現地に到着した調査団は破壊された集落の調査を開始。田辺は一部の井戸だけが[[放射能]]で汚染されていることを確認し、山根は直径数メートルもある謎の巨大な足跡に絶滅したはずの[[三葉虫|トリロバイト]](三葉虫)を発見する。トリロバイトの個体を見つけて興奮する山根だったが、直後に島の[[半鐘]]が鳴り、巨大な生物が八幡山の尾根の向こうで頭をもたげ咆哮するのを目撃する。
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円谷は1952年(昭和27年)の春に「海から現れた化け物のような[[クジラ]]が東京を襲う<ref>『円谷英二 日本映画界に残した遺産』 斉藤忠夫(当時製作宣伝係長)の寄稿より{{要ページ番号|date=2020年9月}}。この企画は斉藤が企画書にして提出している。</ref>」、また、[[1953年]](昭和28年)には「[[インド洋]]で大[[タコ|蛸]]が日本の[[捕鯨船]]を襲う」という[[特撮映画]]のプロットを企画部に提出していた。この円谷の企画の着想は、[[1945年]](昭和20年)の[[東京大空襲]]の最中、[[防空壕]]に避難していた時に思いついたものであり、家族に対しても、これで戦争の恐ろしさを書いてみたいと語っていた。このいきさつもあり、円谷は怪獣の設定を「大蛸」にすることを主張した。一方、田中は「(当時の)風潮によりマッチする」としてこれを「太古の恐竜」とすることを主張、結果として田中案が採用され、主役の怪物のキャラクターは「太古の恐竜」となった。
 
田中はただちに監督に、前年に2本の特撮作品『[[太平洋の鷲]]』と『さらばラバウル』で円谷と組んだ[[本多猪四郎]]を抜擢{{efn|本多は、当時準備を進めていた映画『牧三四郎』が制作中止となり、スケジュールに空きができていた{{R|東宝特撮映画大全集36}}。}}、また、同じく前年に円谷と日本初の[[立体映画]]『[[飛び出した日曜日]]』を撮った[[村田武雄]]をいれ、本多と村田の2人で脚本製作に入ってもらった{{R|東宝特撮映画大全集36}}。田中友幸は、題名が『海底二万哩から来た大怪獣』では長いので、もっと良い題名はないものかと考えあぐねていたところ、[[佐藤一郎 (映画プロデューサー)|佐藤一郎]]プロデューサーから、当時[[東宝]]演劇部にいた"「クジラ」が好物で「[[ゴリラ]]」のような容貌"をした網倉志朗(後の東宝演芸部部長)という人物のあだ名が「グジラ」だと聞きつけ、語呂の良いこのあだ名を参考にし、「'''ゴ'''リラ」と「ク'''ジラ'''」を合わせて「'''ゴジラ'''」とした{{R|大全集53|東宝特撮映画大全集5}}{{Efn|数ある検討シナリオの中には「ゴヂラ」と表記されたものもある{{要出典|date=2020年3月12日}}。}}。しかし、この名称もまだ完全決定というわけでなく、「"ゴジラ"では印象が弱いから"ゴジラー"にしては」といった意見もあったという([[向山宏]]談{{要出典|date=2015年6月}})
 
村田と本多による「G作品準備稿」が仕上がると、「ピクトリアル・スケッチ」(場面ごとに画にしたイメージ・ボード)が制作された。渡辺美術監督が[[飯塚定雄]]ほか、4、5人の学生を指導して描き上げた、全228シーン、306カットに上るこの絵コンテは企画室に張り出され、森製作部長を前に、村田、本多、円谷、田中がシーンごとの説明を行い、検討が重ねられた。浅井正勝によると、ゴジラの吐く「白熱光」や「光る背びれ」は、こうした検討段階で「かっこつけ」で生まれたアイディアだったという。この検討会議が終わると、森岩雄は「成功疑いない」と宣言したという。
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=== 制作 ===
[[File:Range of Gokasho Bay.JPG|thumb|200px|五ヶ所湾]]
制作に当たっては超大作の扱いで公称7,000万円(当時){{要出典|date=2020年3月12日}}{{Efn|当時の劇場映画の通常予算は2000万円だった{{要出典|date=2020年3月12日}}。}}の大型予算が組まれ、本編では[[黒澤明|黒澤]]組から[[志村喬]]を準主演に、[[成瀬巳喜男|成瀬]]組からカメラの[[玉井正夫]]{{Efn|当時本多とは家が隣同士で、家族ぐるみの付き合いだったという。}}美術の[[中古智]]、照明の[[石井長四郎]]を迎え入れるなどベテランを起用。予算面での規模が大きかったため、当時製作部長だった[[北猛夫]]を特別に「美術監督」に据えている。 特撮を担当した[[円谷英二]]は本作のために[[飯塚定雄]]、[[井上泰幸]]、[[開米栄三]]、[[入江義夫]]など各方面から若いスタッフを集め、彼らは後に日本特撮界に欠かせない重鎮となった。
 
これらのスタッフについては本多組の本編A班、円谷組の特撮B班、向山組の合成C班の3班体制がとられた。ラストシーンの海中撮影のため「日本で最も海の水の透明度の高い処」の調査がなされた結果、[[伊勢志摩]]の[[五ヶ所湾]]がロケ場所に選ばれ、同時に「大戸島」のロケ地にも決定。8月2日には鳥羽ロケの先発ロケハン隊が出発。円谷組の特撮B班がゴジラの造形などに手間取り準備が遅れたため、本多組の本編A班が特撮B班に先んじて8月7日に撮入。「大戸島」に設定した伊勢志摩の[[三重県]][[鳥羽市]]石鏡町(いじかちょう)(後述の「[[#エピソード|エピソード]]」を参照)ほかで1週間にわたるロケを行い、9月下旬にクランクアップした{{R|東宝特撮映画大全集36}}。
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== スタッフ ==
当時、「[[特撮監督|特技監督]]」という概念がなく、圓谷英二は「特殊技術」としてクレジット<ref>{{Twitter status|godzilla_jp|1251322226969735168}}</ref>{{efn|しかし、[[#海外版|海外版『ゴジラ』]]が日本公開時のポスターでは、「特技監督 円谷英二」としてクレジット。}}
<!-- 映画クレジット順 -->
* 製作:[[田中友幸]]
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* 製作係(特撮):坂本泰明{{R|映画資料室}}
* 賛助:[[海上保安庁]]{{R|映画資料室}}
* {{要出典|監督助手:崎上俊家|date = 2019年11月28日}}
* {{要出典|絵コンテ:[[育野重一]]|date = 2019年11月28日}}
* {{要出典|美術助手:[[成田亨]]{{Efn|name="アルバイト"|アルバイト参加{{要出典|date=2020年3月12日}}。}}|date = 2019年11月28日}}
* {{要出典|ゴジラデザイン協力:阿部和助|date = 2019年11月28日}}
* {{要出典|合成撮影:[[土井三郎]]、泉実|date = 2019年11月28日}}
* {{要出典|合成作画:[[石井義雄]]、進八郎、渡嘉敷唯信|date = 2019年11月28日}}
* {{要出典|光学撮影:[[荒木秀三郎]]|date = 2019年11月28日}}
* {{要出典|光学作画:岡田明方、茂田江津子|date = 2019年11月28日}}
 
== キャスト ==
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=== ノンクレジット(キャスト) ===
{{colbegin|2}}
* {{要出典|ゴジラ:開米栄三|date = 2019年11月28日|title = クレジットに記載無し。([[プロジェクト:特撮/スーツアクターの役名記載について]]での議論に基づく)}}
* ハーモニカを吹く栄光丸の船員:[[越後憲|越後憲三]]{{R|俳優大図鑑}}
* 栄光丸の船員:河辺昌義{{R|俳優大図鑑}}
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=== 海外版(キャスト) ===
* スティーブ・マーティン:[[レイモンド・バー]](『[[#海外版|怪獣王ゴジラ]]』のみ){{R|5499超全集206}}
* {{要出典|岩永トモ:フランク岩永(『怪獣王ゴジラ』のみ)|date = 2019年11月28日}}
 
== 劇中歌 ==
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== 関連作品 ==
{{出典の明記|date=2020年4月25日|section=1}}
* 『[[キングコング (1933年の映画)|キングコング]]』(1933年) - 円谷英二が特撮の参考とした怪獣映画。
* 『[[:en:Man of Aran|アラン]]』 ''Man of Aran''(1934年) - [[イギリス]]のドキュメント映画。本多、[[黒澤明]]、[[谷口千吉]]監督が影響を受けた。本作の演出においても参考にされた。
* 『[[原子怪獣現わる]]』(1953年) - 前年に全米公開された怪獣映画。田中が「ゴジラが太古の生物である」という設定を思いつくきっかけとなった。
* 『[[快獣ブースカ]]』 - ブースカはもともとゴジラのような怪獣として誕生させる予定であり、第1話「ブースカ誕生」では本作の映像が流用されている<ref>{{Cite book |和書 |editor = 安藤幹夫 |year = 2013 |title = 円谷プロ画報 |publisher = [[竹書房]] |page = 17 |isbn = 978-4812494912 |ref = harv }}</ref>。企画書ではゴジラを登場させることも検討されていた<ref>{{Cite book |和書 |year = 1988 |title = 円谷プロ特撮大鑑 |publisher = [[朝日ソノラマ]] |pages = 22-30 |isbn = 4257032529 |quote = 快獣ブースカ企画書 }}</ref>。
* 『[[ゴジラ キング・オブ・モンスターズ]]』 - 劇中、ゴジラが最初に現れた基地のナンバー「54」は、本作の公開年からと言われている<ref>{{Twitter status|godzilla_jp|1254937634285088768}}</ref>。
 
== 脚注 ==
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