「ヤマハ音楽振興会」の版間の差分

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== ヤマハ音楽教室 ==
[[ファイル:Yamaha-Music-Nagoya-1.jpg|thumb|260px|[[名古屋市|名古屋]]のメインストリート、[[広小路通 (名古屋市)|広小路通]]([[愛知県道60号名古屋長久手線|県道60号]])に面したヤマハ名古屋ビル(名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]][[錦 (名古屋市)|錦]])。5階に教室がある。教室名は「ミュージックアベニュー伏見」。なお、同じビル内に[[ヤマハホール|ヤマハ名古屋ホール]](旧:広小路ヤマハホール)が存在する{{refnest|group="注"|現在名古屋市内でヤマハが保有するビルは名古屋市中区錦1丁目の[[広小路通 (名古屋市)|広小路通]]沿いにあるヤマハ名古屋ビルのみであるが、かつては同じ広小路通を郊外([[名古屋インターチェンジ|名古屋IC]]・[[豊田市|豊田]]方面)へ向かった名古屋市[[千種区]][[東山通 (名古屋市)|東山通]]5丁目の[[名古屋市営地下鉄東山線|地下鉄]][[東山公園駅 (愛知県)|東山公園駅]]の真上にヤマハ東山ビルも存在した。現在はヤマハが建物を売却したためビル名が「東山ビル」(A棟)となっている。</ref>。}}。]]
1954年に設立母体の日本楽器製造([[ヤマハ]])が[[ヤマハ銀座ビル]]内で[[オルガン]]を対象に開講した「音楽教室」の開設が前身であり(1959年に「ヤマハ音楽教室」となる)。1960年代後半、日本楽器の韮塚敏夫がジャズ・アンサンブル・コースを設けた際には[[渡辺貞夫]]が協力した<ref>{{Cite book |和書 |last= |first= |author=[[渡辺貞夫]] |authorlink= |editor=[[岩浪洋三]] |year=1970 |title=ぼく自身のためのジャズ |edition=第2版 |publisher=[[荒地出版社]] |pages=140-141 |chapter=ヤマハ音楽教室の誕生 |id= |isbn= |quote= }}</ref>。