「アメリカ横断ウルトラクイズ」の版間の差分

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内容および規模的に、日本テレビ職員だけでは出来ない企画だったが、第1回放送の前年、1976年7月4日に、日本テレビでアメリカ合衆国独立200年を記念して放送された番組『[[夢と冒険!アメリカ大横断]]』で、日本人の老若男女男女7人が[[キャンピングカー]]を利用しアメリカ大陸を横断するという内容を企画制作し、グループ海外移動のノウハウを持っていた[[テレビマンユニオン]]に声を掛け、同社の参加が決まったという<ref>{{Cite book |和書 |author=大門弘樹 |year=2013 |title=QUIZ JAPAN vol.1 |page=26、41、53 |publisher=セブンデイズウォー |isbn=978-4907601003}}</ref>。
 
本番組が最初に企画された際の仮タイトルは「ジャンボクイズ」<ref>「ジャンボクイズ」という名称はこれより前の[[1974年]](昭和49年)に、[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[フジネットワーク|系列]]で放送された『[[ジャンボクイズ100対100]]』ですでに使用されていた。なお日本テレビでは3年後の[[1980年]](昭和55年)から[[1989年]](昭和64年)まで放送された元日特番『[[豪華!スター家族対抗初春ジャンボクイズ!]]』で日の目を見る事になる([[1988年]](昭和63年)放送の同番組は日本航空が[[一社提供]]だった)。</ref> だった。しかし、[[1977年]](昭和52年)当時、『木曜スペシャル』のスポンサーの一社だった全日空は「ジャンボジェット」こと[[ボーイング747]]を保有しておらず、一方ライバルの[[日本航空インターナショナル|日本航空]]は既に747を保有していた(全日空が747を導入したのは[[1979年]](昭和54年))。「ライバル会社を連想させる名称は良くない」とのことで「ウルトラクイズ」に名称が変更されたという<ref>『ウルトラクイズ伝説』p.24</ref>(当時は「航空憲法」こと[[45/47体制]]のため全日空は国際線を運航しておらず、第1回は[[パンアメリカン航空]]、第2回から第10回は、および"今世紀最後"では[[コンチネンタル航空]](現:[[ユナイテッド航空]])を利用<ref>{{Cite book |和書 |author=大門弘樹 |year=2013 |title=QUIZ JAPAN vol.1 |page=25-26 |publisher=セブンデイズウォー |isbn=978-4907601003}}</ref>、実際に番組内で全日空を使うようになったのは、同社がグアム路線を運航し始めた[[1986年]](昭和61年)の翌年、第11回大会以降である)。また、「ウルトラクイズ」のタイトルは、[[特撮]]番組「[[ウルトラマン]]」に由来するとしている<ref>第9回大会、ハワイでの問題より。</ref>。しかし第二次予選で使われた成田エアポートレストハウスは放送当時は日本航空グループであった。
 
『ジャンボクイズ』当時の「規約」では、既にその内容が紹介、チェックポイントも実際に行われた場所と全く同じであった<ref name="伝説">「ウルトラクイズ伝説」P.12 - 20</ref>。しかし、次の様な相違点もあった。