「フランキー・イェール」の版間の差分

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=== 暗殺 ===
1928年7月1日16時頃、アジトのサンライズクラブで飲んでいた時、家族の危急を知らせる電話があり、用心棒を付けずに車に飛び乗り自宅に向かった{{refnest|group="注釈"|自宅ではなく病院に向かっていたともいう<ref>[http://www.lacndb.com/php/Info.php?name=Frankie%20Yale Frankie Yale] La Cosa Nostra Database</ref>。}}。ブルックリンの44丁目通りを走行中、尾行していた黒光りのセダンに車のリアウィンドウを銃撃された。加速して逃げたが、途中で加わった別の車2台に並走状態からショットガン、リボルバー、[[トンプソン・サブマシンガン#M1928/M1928A1|トンプソンM1928サブマシンガン]]の一斉射撃を浴びた。イェールの車はコントロールを失い道沿いの家の石段に突っ込んだ。頭部に3発被弾して即死した<ref name="b"/><ref>[http://www.rarenewspapers.com/view/582122 "Gangster shot dead in daylight attack,"] New York Times, 1928.7.2, p. 1</ref><ref name="f"/>{{refnest|group="注釈"|検死では、頭部左側へのショットガン兆弾2発と左ほほへの拳銃弾1発が死因<ref>Critchley, Notes to Capter 6, No.232, P. 291-292</ref>。}}。電話は彼の妻からで、「戻ってきて車に乗せて欲しい」という内容だったといい、部下の支度を待たずに一人で外に出ていったという(サンライズクラブにいた部下ジョー・カポニの証言)<ref name="f"/>。電話はイェールをおびき出すトラップだったと広く信じられている<ref name="g"/>。
 
イェールの車は[[リンカーン (自動車)|リンカーン]]の新車で、防弾仕様だったがサイドウィンドウに防弾処理が施されていなかった、又は狙撃時サイドウィンドウを下ろしていた<ref name="g"/>、と伝えられた。