「ジョゼフ=ニコラ・ドリル」の版間の差分

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== 生涯 ==
[[パリ]]に歴史家、地理学者のクロード・ドリルの11人の子供の1人として生まれた。兄に地図製作者のギョーム・ドリル([[:en:Guillaume Delisle]] 、1675年-1726年)がいる。始め古典を学ぶが、天文学に転じた。J. Lietaudや[[ジャック・カッシーニ]]の指導を受けた。[[1715年]]、[[科学アカデミー (フランス)|フランス科学アカデミー]]に迎えられた。[[1721年]]、[[ロシア]]の[[ピョートル1世 (ロシア皇帝)|ピョートル大帝]]に招かれて天文学者養成の学校の建設を任された。これによって[[1747年]]にパリに戻る頃にはかなり裕福で有名になっており、フランスの王立天文官に任じられるとともに、[[クリュニー]]に私設天文台を建設できるまでになった。クリュニーの天文台に助手として採用した[[シャルル・メシエ]]が、後に天文官の職を継ぐことになる。[[1768年]]、ドリルはパリで没した。
 
ロシア滞在中の1732年に水銀[[温度計]]を作り、水の沸点を0度とし、低温ほど数値が大きくなる温度目盛を作った。これは今日[[ドリル度]]([[:en:Delisle scale]])として知られている。