「バイエルン継承戦争」の版間の差分

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外交面で、オーストリアは支持を得られず孤立したことを反省し、ヨーゼフ2世はロシアやフランスとの関係再構築に精力的に取り組む。プロイセンも大王主導の下で結集し、オーストリアを警戒すべきと帝国諸侯に働きかける一方で、列強にオーストリアの拡大を認めないよう要請した。
 
この後、大王と皇帝は平和を保ちつつ互いを意識した外交戦を続ける。ヨーゼフは[[エカチェリーナ2世 (ロシア皇帝)|エカチェリーナ2世]]と対[[オスマン帝国]]戦略について合意してロシアとの協調を得ると、バイエルンに対して再びネーデルラントとの領土交換を提案した。ロシアはこれを承認していたが、大王はこれに猛抗議してエカチェリーナ2世にこの同意を撤回させた。フランスもプロイセンの承認なしにこの領土交換を認めることはできないとして、皇帝のバイエルン併合計画はまたしても失敗した。大王は帝国諸侯と[[君侯同盟]]を結んで、ヨーゼフへの対抗姿勢を強める。そのままいけば再びの戦争は近かったであろうが、このころすでにフランスにおいて革命の発生が迫りつつあり、これは両国の外交戦略を転換させた。しかし、大王も皇帝もその場に居合わせることはなかった。
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== 脚注 ==