「ドナシャン・ノノット」の版間の差分

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== 略歴 ==
フランス東部、[[ブザンソン]]の旧家に生まれた<ref name="Buam">Louis-Gabriel Michaud, Biographie universelle, ancienne et moderne, t. 31 Nog - Paj, Paris, 1864, 642 p. </ref>。弟に[[ヴォルテール]]と論争したことで知られる神学者、クロード=アドリアン・ノノット(Claude-Adrien Nonnotte: 1711-1793)がいる。幼いころから美術家を目指し、地元の画家に学んだ後、1728年にパリに出て、1836年に王室の筆頭画家(premier peintre du Roi)になる[[フランソワ・ルモワーヌ]](François Lemoyne: 1688–1737)の工房に1728年に入った。
 
ルモワーヌの弟子のなかで、技量を認められルモワーヌの助手として、サン=シュルピス教会の礼拝堂(chapelle de la Vierge)や宮殿の壁画の仕事をした<ref name="BDN">« Le Bisontin Donat Nonnotte », Réunion des sociétés des Beaux-Arts des départements à la Sorbonne, Paris, Plon-Nourrit,‎ 1902, p. 510-40 </ref>。歴史画も描くようになり、アンタン公爵(duc d’Antin )の援助もうけるようになったが、1736年に公爵が死去し、1737年に師のルモワーヌも死去したため、後援者を失うことになった<ref name="Buam"/>。1737年に裕福な年上の未亡人と結婚した。肖像画家として働き、パリの展覧会に出展した。