「プシェムィシルの戦い」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
→概要: 訂正若干 |
Cave cattum (会話 | 投稿記録) +cat 20世紀の戦闘 |
||
2行目:
== 概要 ==
プシェムィシリは、[[第一次世界大戦]]まで[[オーストリア・ハンガリー帝国]]領となっていた。[[1910年]]現在で、人口
1918年[[11月1日]]、町にはポーランド人、ユダヤ人、ウクライナ人による共同の地方政府が立ち上げられた。しかし、西ウクライナ国民共和国の軍事組織である[[ウクライナ・ハルィチナー軍]](UHA)は、[[11月3日]]、ペレムィーシュリはウクライナ人居住地であるとして進駐し、共同政府の要人を逮捕し町東半分に統治体制を布いた。ウクライナ・ハルィチナー軍は、[[義勇兵]]や[[学生]]によって編成されていた小規模のポーランド自衛軍を破った。一方、同地を自国領と考える[[ポーランド軍]]は、[[サン川]](スャン川)を挟んで町の西側を占拠し、これに対峙した。
8行目:
[[11月10日]]には、ポーランド軍がウクライナ側に[[最後通牒]]を突きつけた。しかし、ポーランド軍はウクライナの返答を待たずに11日には渡河作戦を実行し、2日間の戦闘ののち装備に劣るウクライナ・ハルィチナー軍を撃破した。
[[Category:
[[Category:
[[Category:ポーランドの戦闘|ぷしえむいしるのたたかい]]
[[Category:
[[en:Battle of Przemyśl]]
|