「交響曲第5番 (マーラー)」の版間の差分

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{{Portal クラシック音楽}}
 
'''交響曲第5番'''(こうきょうきょくだい5ばん)[[嬰ハ短調]]は、[[グスタフ・マーラー]]が[[1902年]]に完成した5番目の[[交響曲]]。5[[楽章]]からなる。マーラーの作曲活動の中期を代表する作品に位置づけられるとともに、作曲された時期は、[[ウィーン]]時代の「絶頂期」とも見られる期間に当たっている。
 
[[1970年代]]後半から起こったマーラー・ブーム以降、マーラーの交響曲のなかで人気が高い作品となっている{{Sfn|金・玉木|2011|p=148}}。その理由としては、大編成の[[管弦楽]]が充実した書法で効果的に扱われ、非常に聴き映えがすること、音楽の進行が「暗→明」という[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]以来の伝統的図式によっており曲想もメロディアスで、マーラーの音楽としては比較的明快で親しみやすいことが挙げられる{{Sfn|金・玉木|2011|p=151}}。とりわけ、[[ハープ]]と[[弦楽器]]による第4楽章アダージェットは、[[ルキノ・ヴィスコンティ]]監督による[[1971年の映画]]『[[ベニスに死す (映画)|ベニスに死す]]』([[トーマス・マン]]原作)で使われ、ブームの火付け役を果たしただけでなく、マーラーの音楽の代名詞的存在ともなっている{{Sfn|金・玉木|2011|p=149}}
 
==概要==
[[交響曲第2番 (マーラー)|第2番]]から[[交響曲第4番 (マーラー)|第4番]]までの3作が「[[少年の魔法の角笛|角笛]]交響曲」と呼ばれ、[[声楽]]入りであるのに対し、第5番、[[交響曲第6番 (マーラー)|第6番]]、[[交響曲第7番 (マーラー)|第7番]]の3作は声楽を含まない純器楽のための交響曲群となっている{{Sfn|金・玉木|2011|p=133}}{{Sfn|柴田|1984|p=96}}。第5番で声楽を廃し、純器楽による音楽展開を追求するなかで、一連の音型を異なる楽器で受け継いで音色を変化させたり、[[対位法]]を駆使した多声的な書法が顕著に表れている。このような書法は、音楽の重層的な展開を助長し、多義性を強める要素ともなっており、以降につづく交響曲を含めたマーラーの音楽の特徴となっていく{{Sfn|金・玉木|2011|p=134}}
 
また、第5番には同時期に作曲された「少年鼓手」(『[[少年の魔法の角笛]]』に基づく)や、[[フリードリヒ・リュッケルト|リュッケルト]]の詩に基づく『[[亡き子をしのぶ歌]]』、『[[リュッケルトの詩による5つの歌曲]]』と相互に共通した動機や曲調が認められ、声楽を含まないとはいえ、マーラーの歌曲との関連は失われていない{{Sfn|柴田|1984|p=96}}。さらに第4番以降しばしば指摘される「古典回帰」の傾向についても、後述するようにそれほど単純ではなく、書法同様の多義性をはらんでいる。
 
演奏時間約70分。
== 作曲の経緯 ==
=== ウィーン・フィル辞任 ===
[[ファイル:Zasche-Theo Gustav-Mahler-1906.jpg|サムネイル|マーラーの指揮の激しさを描いた風刺画]]
1901年2月17日に自作『[[嘆きの歌]]』を初演したマーラーは、その一週間後、[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]の演奏会を終えた直後に[[痔]]による出血を起こした。4月にはウィーン・フィルを辞任する{{Sfn|金・玉木|2011|p=138}}
 
この辞任は、マーラーが[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]や[[ロベルト・シューマン|シューマン]]の交響曲などを編曲して上演したり、自作や[[リヒャルト・シュトラウス]]、[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]の作品をプログラムに組んだりしたことが、ウィーンの保守的な批評家・聴衆から非難されたことによる{{Sfn|金・玉木|2011|p=138}}{{Sfn|柴田|1984|p=100}}。批評家からは「音楽の狂人」、「ユダヤの猿」など耐え難い批判を浴び、移り気な聴衆は代役指揮者を支持することなどがあったとされる{{Sfn|金・玉木|2011|p=140}}。同時に、マーラーが専制君主的に接した楽団員ともトラブルが発生した{{Sfn|金・玉木|2011|p=139}}
 
しかし、[[ウィーン国立歌劇場|ウィーン宮廷歌劇場]]の職は維持しており、[[ブルーノ・ワルター]]や[[レオ・スレザーク]]らを同歌劇場に登用、自身の理想とする舞台づくりに邁進する{{Sfn|金・玉木|2011|p=140}}。ウィーン・フィルとの関係自体も継続され、[[1902年]]3月にマーラーの妹ユスティーネはウィーン・フィルの[[コンサートマスター]]、[[アルノルト・ロゼ]]と結婚している{{Sfn|金・玉木|2011|p=140}}
 
=== 作曲と指揮 ===
[[1901年]][[夏]]、マーラーは[[ヴェルター湖]]畔の{{仮リンク|マイアーニック([[:|de:Maiernigg|Maiernigg]])}}で休暇を過ごし、作曲小屋で、『[[リュッケルトの詩による5つの歌曲]]』の第1曲から第4曲まで、『[[亡き子をしのぶ歌]]』の第1曲、第3曲、第4曲、『[[少年の魔法の角笛]]』から「少年鼓手」を完成させ、続いて交響曲第5番の作曲をスケッチする。
 
休暇を終えたマーラーは、[[11月25日]]に自作の[[交響曲第4番 (マーラー)|交響曲第4番]]を[[ミュンヘン]]で初演{{Sfn|金・玉木|2011|p=141-142}}。これは不評だったが、翌1902年6月、[[クレーフェルト]]で[[交響曲第3番 (マーラー)|第3番]]の全曲初演を指揮して大成功を収めた。クレーフェルトでは、[[ウィレム・メンゲルベルク]]と知り合う。前後して、[[ジャック・オッフェンバック|オッフェンバック]]『[[ホフマン物語]]』(1901年11月11日)やリヒャルト・シュトラウス『火の欠乏』(1902年1月29日)などの[[オペラ]]作品をウィーン初演している。
 
第5交響曲は、スケッチから1年後の1902年夏に同じマイアーニックの地で完成。同時期に『リュッケルトの詩による5つの歌曲』の第5曲も完成させている。
 
=== アルマとの結婚 ===
[[ファイル:Alma Mahler 1899.jpg|サムネイル|アルマ・マーラー]]
この間、1901年11月に解剖学者[[エーミール・ツッカーカンドル|ツッカーカンドル]]家のサロンに招待され、当時22歳の[[アルマ・マーラー|アルマ・シントラー]]と出会い、12月には婚約を発表、翌1902年3月9日に結婚した{{Sfn|金・玉木|2011|p=142}}。この年の11月3日には、2人の間に長女マリア・アンナが誕生している。
 
アルマの実父はウィーンの風景画家エミール・シントラー(この時点で故人)、養父(母親の再婚相手)が[[ウィーン分離派]]の画家[[カール・モル]]、母親は芸術家サロンの主宰者という家庭環境のもとで、アルマは詩人[[マックス・ブルクハルト]]や画家[[グスタフ・クリムト]]らとも交流があった{{Sfn|金・玉木|2011|p=142}}。アルマ自身は作曲家志望で、[[アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー]]の音楽の弟子であり、マーラーと出会うまではツェムリンスキーと恋愛関係にあったという{{Sfn|金・玉木|2011|p=143}}
 
アルマとの交際、結婚によって、マーラーの交友関係は飛躍的に広がった。1902年4月、第15回分離派展でのオープニングに、宮廷歌劇場の管楽器奏者を連れて参加、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|交響曲第9番]]の終楽章を[[編曲]]して演奏した{{Sfn|マーラー事典|1989|p=104}}。この際分離派の画家[[アルフレート・ロラー]]と意気投合し、翌1903年からロラーを舞台装置家兼演出家として起用することになる{{Sfn|マーラー事典|1989|p=105}}
 
一方でアルマとの結婚をきっかけに、ナターリエ・バウアー=レヒナーなど古くからの友人は、マーラーから離れていった。
== 初演と出版・録音 ==
=== 初演 ===
[[1904年]][[10月19日]](18日とも)、[[ケルン]]にて、マーラー自身の[[指揮 (音楽)|指揮]]、[[ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団]]による{{sfn Sfn|平林直哉|2008| p=256}}。この年の夏、マーラーは[[交響曲第6番 (マーラー)|交響曲第6番]]を完成させ、[[交響曲第7番 (マーラー)|交響曲第7番]]の二つの「夜曲」(第2楽章と第4楽章)を作曲済みだった。
 
日本初演は1932年2月7日に[[クラウス・プリングスハイム]]指揮、[[東京音楽学校 (旧制)|東京音楽学校]]管弦楽団の演奏で行われた{{Sfn|柴田|1984|p=101-102}}。
 
=== 録音 ===
第4楽章のみ、1926年にマーラーと親しかった[[ウィレム・メンゲルベルク]]が録音しており、これが世界初の録音である{{sfn Sfn|平林直哉|2008| p=256-257}}。また全曲版の世界初録音は、[[1947年]][[2月10日]]に[[ブルーノ・ワルター]]指揮[[ニューヨーク・フィルハーモニック|ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団]]によって録音された[[コロムビア・レコード]]による[[SPレコード]]である{{sfn Sfn|平林直哉|2008| p=256}}。
 
== 楽器編成 ==
 
== 楽曲構成 ==
全5楽章からなるが、第1楽章と第2楽章を「第一部」とし、第3楽章を「第二部」、第4楽章とつづく第5楽章を「第三部」とする三部構成が楽譜に表示されている{{Sfn|柴田|1984|p=103}}
 
=== 第1楽章 ===
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[[交響曲第4番 (マーラー)|交響曲第4番]]第1楽章で姿を見せた[[トランペット]]の不吉な[[ファンファーレ]](譜例1)が、重々しい葬送行進曲の開始を告げる。主要主題(譜例2)は弦楽器で「いくらかテンポを抑えて」奏され、付点リズムが特徴。この主題は繰り返されるたびに変奏され、オーケストレーションも変化する。葬送行進曲の曲想は『[[少年の魔法の角笛]]』の「少年鼓手」との関連が指摘される{{Sfn|柴田|1984|p=96}}。一つの旋律が異なる楽器に受け継がれて音色変化するという、マーラーが得意とする手法が見られる。再びファンファーレの導入句がきて、主要主題が変奏される。
 
譜例1<score> \relative c' { \clef treble \key cis \minor \numericTimeSignature \time 2/2 \partial 4*1 \times 2/3 { cis8\p-.\<^\markup{\smaller \center-align (Tp.)} cis-. cis-. } | cis2\!\sf-> r4 \times 2/3 { cis8\< cis cis } | cis2\!\sf-> r4 \times 2/3 { cis8\< cis cis } | e1\!\sf->~ | e4 } </score>
Adagietto. Sehr langsam. アダージェット 非常に遅く [[ヘ長調]] 4分の4拍子、[[三部形式]]
 
[[ハープ]]と[[弦楽器]]のみで演奏される(譜例9)、静謐感に満ちた美しい楽章であることから、別名「愛の楽章」とも呼ばれる。『亡き子をしのぶ歌』第2曲「なぜそんな暗い眼差しで」及び『リュッケルトの詩による5つの歌曲』第3曲「私はこの世に忘れられ」との関連が指摘される{{Sfn|金・玉木|2011|p=156}}
中間部ではやや表情が明るくなり、ハープは沈黙、弦楽器のみで憧憬を湛えた旋律(譜例10)を出す。この旋律は、終曲でも使用される。休みなく第5楽章へ繋がる。
 
== 第5交響曲とアルマ ==
*マーラーが[[アルマ・マーラー|アルマ]]と出会ったのは、交響曲第5番の作曲中である。[[ウィレム・メンゲルベルク|メンゲルベルク]]によると、第5番の第4楽章アダージェットはアルマへの愛の調べとして書かれたという。アルマがメンゲルベルクに宛てた書簡によると、マーラーは次の詩を残した。「Wie ich dich liebe, Du meine Sonne, ich kann mit Worten Dir's nicht sagen. Nur meine Sehnsucht kann ich Dir klagen und meine Liebe. (私がどれほどあなたを愛しているか、我が太陽よ、それは言葉では表せない。ただ我が願いと、そして愛を告げることができるだけだ。)」
*アルマの回想によれば、アルマは第5交響曲を初めて聞いた際、よい点を褒めつつも、フィナーレのコラールについて「聖歌風で退屈」と評した{{Sfn|柴田|1984|p=98}}。マーラーが「[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]も同じことをやっている。」と反論すると、アルマは「あなたとブルックナーは違うわ。」と答えた{{Sfn|柴田|1984|p=98}}。マーラーはこのときカトリックに改宗し、その神秘性に過剰に惹かれていたとアルマは述べている。
*アルマはこの曲のパート譜の写譜を一部手伝っている。
*初演は1904年10月にケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によってなされたが、アルマの回想によると同年はじめに[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]によるリハーサルがなされたという。アルマはその様子を天井桟敷で聴いていた。アルマはこの曲を細部までを暗記していたが、ある箇所が打楽器の増強により改変されてしまったことに気付き、声を上げて泣きながら帰宅してしまう。それを追って帰宅したマーラーに対しアルマは「あなたはあれを打楽器のためだけに書いたのね」と訴えると、マーラーはスコアを取り出し赤チョークで該当箇所の打楽器パートの多くを削除したという。
*マーラーは1905年から第5番の改訂に取りかかるが、これには、アルマの意見もとり入れられたという。
 
== 参考図書脚注 ==
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*{{Cite book |和書 |last= |first= |author=[[柴田南雄]] |authorlink= |coauthors= |translator= |year=1984 |title=グスタフ・マーラー 現代音楽への道 |publisher=[[岩波新書]] |page= |id= |isbn=4004202809 |quote= }}
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== 参考文献 ==
*{{Cite book |和書 |last= |first= |author=[[柴田南雄]] |authorlink= |coauthors= |translator= |year=1984 |title=グスタフ・マーラー 現代音楽への道 |publisher=[[岩波新書]] |page= |id= |isbn=4004202809 |quote= |ref={{SfnRef|柴田|1984}}}}
*{{Cite book |和書 |last= |first= |author=アルマ・マーラー |authorlink= |coauthors= |translator=[[石井宏 (音楽評論家)|石井宏]] |year=1987 |title=グスタフ・マーラー 愛と苦悩の回想 |publisher=[[中公文庫]] |page= |id= |isbn=4122014484 |quote= }}
*{{Cite book |和書 |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |translator= |year=1992 |title=作曲家別名曲解説ライブラリー 1 マーラー |publisher=[[音楽之友社]] |page= |id= |isbn=4276010411 |quote= }}
*{{Cite book |和書 |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |translator= |year=1998 |title=最新 名曲解説全集 第2巻 交響曲2 |publisher=音楽之友社 |page= |id= |isbn=4276010020 |quote= }}
*{{Cite book |和書 |last= |first= |author=[[根岸一美]]、[[渡辺裕]] |authorlink= |coauthors= |translator= |year=1998 |title=ブルックナー/マーラー事典 |publisher=[[東京書籍]] |page= |id= |isbn=4487732034 |quote= }}
*{{Cite book|和書|author= 平林直哉|year= 2008|title= クラシック名曲初演&初録音事典|publisher = 大和書房|isbn= 9784479391715|ref={{SfnRef|平林|2008}}}}
*{{Cite book|和書
*{{Cite book|和書|title=マーラーの交響曲|date=2011年12月20日|publisher=[[講談社現代新書]]|author=金聖響|author2=玉木正之|ref={{SfnRef|金・玉木|2011}}}}
|author = 平林直哉
*{{Cite book|和書|title=マーラー事典|date=1989年5月15日|publisher=立風書房|ref={{SfnRef|マーラー事典|1989}}}}
|year = 2008
|title = クラシック名曲初演&初録音事典
|publisher = 大和書房
|isbn = 9784479391715
}}
 
== 脚注 ==
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=== 注釈・出典 ===
<references />
 
== 外部リンク ==