「仲哀天皇」の版間の差分
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== 事績 ==
容姿端正、[[身長]]一丈<ref>『日本皇帝系図』続群書類従第5輯上系図部p.49。昭和34年5月15日訂正3版</ref>。『[[日本書紀]]』によれば、叔父の稚足彦天皇([[成務天皇]])に嗣子がなく成務天皇48年3月1日に31歳で立太子。皇太子13年を経て先帝崩御二年後の1月に即位。[[白鳥]]となって天に昇った父の日本武尊([[景行天皇]]
即位8年、[[熊襲]]討伐のため皇后とともに[[筑紫]]に赴き、[[憑依|神懸り]]した皇后から託宣を受けた{{efn2|通説ではこの神は[[住吉三神|住吉大神]]ではないかとされるが、地元にある神功皇后が仲哀天皇に祟った神を祀ったとされる[[天照皇大神宮]]では[[天照大神]]が祀られている。}}。それは「熊襲の痩せた国を攻めても意味はない、神に田と船を捧げて海を渡れば金銀財宝のある[[新羅]]を戦わずして得るだろう」という内容だった。しかし高い丘に登って大海を望んでも国など見えないため、この神は偽物ではないかと疑った。祖先はあらゆる神を祀っていたはずであり、未だ祀ってない神はいないはずでもあった。神は再度、皇后に神がかり「おまえは国を手に入れられず、[[妊娠]]した皇后が生む皇子が得るだろう」と託宣した。
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=== 生年・立太子年 ===
『古事記』に「凡そ帯中日津子天皇の御年、五十二歳。壬戌の年の六月十一日に崩りましき」。『日本書紀』にも52歳とするが、これから逆算すると父の日本武尊の崩御後
== 信仰 ==
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