「ウィレム・バイテウェッヘ」の版間の差分

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== 略歴 ==
[[ロッテルダム]]の靴職人、ロウソク職人の息子に生まれた、[[ハールレム]]で商人の見習いをしたが、画家になり1612年に[[聖ルカ組合]]に加入が認められた。ハールレムの組合にはその2年前に[[フランス・ハルス]]が加入しており、バイテウェッヘとともに[[ルキュラクレス・セーヘルス]]や[[エサイアス・ファン・デ・フェルデ]]も同じころに組合に加盟した<ref>[http://www.rijksmuseum.nl/aria/aria_artists/00017159?lang=en Willem Buytewech in the Rijksmuseum]</ref>。バイテウェッヘはフランス・ハルスの作品をもとに版画の下絵などを多く描いていて、ハルスの影響を受けていたとされる。1613年11月に、名門の娘と結婚して、ロッテルダムに戻った。ロッテルダムではヘンドリック・ソルフ(Hendrik Martenszoon Sorgh: c.1610-1670)や ヘルマン・ファン・スワーネフェルト(Herman van Swanevelt: 1603-1655)が弟子であったとされる。
 
版画の下絵の風景画、風俗画を多く描いた。8点しか現代に伝わっていない油絵はすべて風俗画で、集まって談笑する陽気な仲間を題材にしている。
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[[Category:17世紀オランダの画家]]
[[Category:オランダの版画家]]
[[Category:ロッテルダム出身の人物]]
[[Category:1591年生]]