「メッサーシュミット Bf109」の版間の差分

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=== 航続力 ===
[[ファイル:Me 109Es in flight over North Africa 050613-F-1234P-040.jpg|thumb|250px|北アフリカに展開したBf 109 E]]
同機の大きな欠点の一つと言われているのが[[航続距離]]の短さである。これは開発時期の1930年代に台頭していた[[ジュリオ・ドゥーエ|ドゥーエ]]の[[空中艦隊構想|空中艦隊]]戦略爆撃論や当時流行した高速[[爆撃機]]の思想から、欧州の[[戦闘機]]全般が迎撃性能を重視した結果とされる。この点が問題になったのは、[[バトル・オブ・ブリテン]]と呼ばれた[[イギリス]]上空での戦いである。爆撃機を護衛する侵攻戦闘機として開発された双発戦闘機<ref>[[メッサーシュミット Bf110]]など</ref>が単座戦闘機に対抗しえず、英国上空での滞空可能時間が15分程度しかなかったことは大きな戦術的制約に、そしてバトル・オブ・ブリテン敗北の一因になった。
 
本機の翼構造は翼内タンクなどを設置する余地がなかった。また、[[増槽]]を装備させるには機内の配管を改めなければならなかったため、現地改修では不可能だった。その燃料配管を改めたBf 109 E-7が[[1940年]]9月に部隊配備されたものの、パッキンの不整合による燃料漏れなどがたたり長距離型の運用は遅れた。加えて同時期にイギリスでは、[[ホーカー ハリケーン|ハリケーン]]や[[スーパーマリン スピットファイア|スピットファイア]]などがエンジンのバージョンアップを果たし、速度性能、上昇性能を大きく向上させたMk.IIが空軍に引き渡され始めていた。これらに対抗するBf 109 Fの生産と機種転換に備えるためにもE-7が主力機になることはなかった。