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== 歴史 ==
{{stack|[[File:Schwebefähre Rendsburg NIK 2853.JPG|thumb|レンブルク輸送橋]]}}
レンツブルの創立時期は明確にはなっていないが、ビョルン・スヴェンセン (BjørnSvendsen) によって1099年から1100年に要塞が築かれたことが1199年に言及された。デンマーク語での古い名称はレイノルズバーグ (Reynoldsburgh) である。
 
13世紀に[[ホルシュタイン]]の一部となったが、1460年に[[シュレースヴィヒ (都市)]]に属した。レンツブルは幾度となく[[デンマーク]]とドイツの間で支配権が入れ替わった。1864年の[[第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争]]において、レンズブルクはついに[[プロイセン王国]]と[[オーストリア]]に占領され、1866年にはプロイセン王国に併合された。以降、レンツブルはドイツの領土となっている。
 
アイダー川は北海に面した河口からレンツブルまで小型船で航行できるが、キール運河が完成した1895年にはレンツブルの重要性は高まった。キール運河は大型船も航行が可能であったため、レンツブルは内陸に位置していたにも関わらず港と造船所が建設された。
 
== 観光スポット ==
レンツブルにおいて最も有名な建造物である[[レンツブルク鉄道橋]]は、長さ2,500メートル(8,200フィート)、高さ41メートル(135フィート)の鋼製の[[鉄道橋]]で、1913年に[[ノイミュンスター]]-[[フレンスブルク]]間に建設された。ヨーロッパで最も長い鉄道の橋である(最も長い橋は[[鉄道道路併用橋]]である[[エーレスンド橋]])。北側で橋をループ状に敷設することで高さを増し、列車がレンツブルク駅まで運行できるようになっている。鉄道橋から吊り下げられた輸送橋(これまでに建設された20の橋のうちの1つ)が運河を横断している。
 
[[ドイツ陸軍 (ドイツ連邦軍)|ドイツ陸軍]]防空学校とドイツ連邦放射線防護庁はともにレンツブルクにある。