「山岡久乃」の版間の差分

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しかし、上記のコメント発表から僅か2ヶ月後の[[1999年]][[2月15日]]午後10時02分、胆管癌による[[心不全]]のため、親族や池内淳子、長山藍子、石井ふく子らに看取られ[[神奈川県]][[川崎市]]の病院で死去<ref name="nikkei19990216" /><!-- 左記(日経の出典)には看取った人に関する記述はありません -->。亡くなる前年の[[1998年]][[1月6日]]に放送された、日本テレビ開局45周年記念ドラマ「嫁とり婿とり大騒動」への出演が山岡にとってTVドラマでは遺作となった(DVD等は発売されていない)。そして、1998年2月の日生劇場での舞台「おもろい女」(森光子や芦屋雁之助らと共演)が生涯最後の仕事となり、黄疸を化粧で隠して、病状が悪化するなか千秋楽まで演じきった映像が残されている。{{没年齢|1926|8|27|1999|2|15}}。同年7月8月に[[芸術座]]で予定されていた単独座長公演『月の光』の舞台を踏まぬままだった。山岡の代役は、親友の池内が務めた(池内は『月の光』による演技により[[菊田一夫]]演劇大賞等を受賞)。
 
なお、山岡の死去は、各局のニュース速報でも流れ、連日のワイドショーなどでも大きく報道された。一部スポーツ紙では、一面トップ記事扱いにもなった。[[築地本願寺]]で行われた通夜・葬儀には、[[池内淳子]]、[[野村昭子]]、[[赤木春恵]]、[[藤岡琢也]]、[[赤木春恵|泉ピン子]]、[[野村真美]]、[[藤田朋子]]、[[吉村涼]]、[[橋田壽賀子]]、[[麻丘めぐみ]]、[[水前寺清子]]、[[沢田雅美]]、[[夏木陽介]]、[[黒柳徹子]]、[[黒柳徹子|和田アキ子]]など「これだけ大物俳優・女優が揃う通夜・葬儀は珍しい」と評されるほど多くの俳優仲間・後輩が訪れ、一般の参列者も多く訪れた。喪主は養女が務め、通夜・葬儀の演出は石井ふく子が担当し、弔辞は[[森光子]]と[[長山藍子]]、[[蜷川幸雄]]が読んだ。棺の葬儀場入りの際は、棺を乗せた車が1時間をかけて[[明治座]]、[[帝国劇場]]、[[芸術座]]をまわり、沿道には1万人のファンが集まった。[[戒名]]は「華徳院妙伎日久大姉」。遺体は[[渋谷区]]の[[代々幡斎場]]で[[荼毘]]に付された。墓地は[[東京都]][[墨田区]]の[[法恩寺 (墨田区)|法恩寺]]。
 
同年2月19日にTBSが放送した追悼番組は、18.6%の[[視聴率]]を獲得記録した。
 
== その他のエピソード ==