「北の京・芦別」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
23行目:
 
== 概要 ==
相次ぐ炭鉱閉山による沈滞を打開するための観光開発を図るべく<ref name="cityhis"/>、1968年より[[スパリゾートハワイアンズ|常磐ハワイランド]]をヒントとして大規模レジャー施設構想が発足<ref name="cityhis2">第2章第5節観光開発と施設 四北の京芦別 - 新芦別市史第2巻(1994年 芦別市)</ref>。1969年に市内の商工業者120余人の出資により'''株式会社芦別レジャーランド'''を設立、11万坪の敷地に総工費4億円をかけ[[1970年]][[7月17日]]に「芦別レジャーランド」を開業<ref name="iki"/>。また建設にあたっては産炭地進行事業団がレジャー施設への融資を初めて実施し7000万円を融資した<ref name="cityhis2"/>。当初は宴会・婚礼施設を備えたホテルや温水プール、ショーステージ、ボウリング場、熱帯植物園、お祭り広場、屋外遊園地、大浴場などを備えた若者向けの施設展開としたが1972年に高齢者にも親しみやすい宗教観光路線へ転換し1974年に十二支苑、1978年に世界最大級の五重塔であるホテル五重塔を建設し[[1988年]]に会社名・施設名を'''北の京・芦別'''に改称<ref name="cityhis"/>新芦別市史第三巻 第4編。また喫茶、民謡広間、土業と労働 第四節観光・レジャ店、ダンスホール、洋弓場、遊具コーナー、ローラ施設とケート、ゴーカート、ニー牧場、ボー 北の京芦別の閉鎖と買収 - 芦別市(2015年)遊覧船を設けた</ref name="cityhis2"/>。
 
1972年に高齢者にも親しみやすい宗教観光路線へ転換し<ref name="cityhis"/>、1973年7月に芦別産の銘石200個以上を用いた銘石大浴場、1974年に十二支苑、1978年に世界最大級の五重塔であるホテル五重塔を建設した一方で、[[1983年]]に洋風大宴会場「宮殿の大広間」、[[1984年]]に日本庭園大浴場・ギリシャ神殿大浴場、1985年にジャンボプールを設置し再度若年・家族層へのアピールを図った<ref name="cityhis2"/>。
翌[[1989年]]には世界平和や北海道の発展の願いを込めた北海道大観音が建立され、1993年にはホテル三十三間堂の開業により日本の古都を思わせる主要施設群が完成、道内のヘルスセンターやテーマパークの先駆けとなった。しかし公共温泉の増加や景気の悪化に伴い1990年の約17億円をピークに売上が減少し経営が悪化、2004年に子会社として「有限会社ランド」を設立し累積債務の整理と経営再建を計画、2007年1月に北の京芦別を精算しランドに経営権を譲渡した後施設も3月に同社が1億円で落札し4月から経営に乗り出した<ref name="cityhis"/>。
 
[[1988年]]に会社名・施設名を'''北の京・芦別'''に改称<ref name="cityhis">新芦別市史第三巻 第4編産業と労働 第四節観光・レジャー施設とスポット 北の京芦別の閉鎖と買収 - 芦別市(2015年)</ref>、「レジャーランド」の古いイメージからの脱却とテーマパーク的なイメージを強調し十二支苑や五重塔や大観音計画のイメージも反映させる形とした<ref name="cityhis2"/>。[[1989年]]には世界平和や北海道の発展の願いを込めた北海道大観音が建立され、1993年にはホテル三十三間堂の開業により日本の古都を思わせる主要施設群が完成、道内のヘルスセンターやテーマパークの先駆けとなった。しかし公共温泉の増加や景気の悪化に伴い1990年の約17億円をピークに売上が減少し経営が悪化、2004年に子会社として「有限会社ランド」を設立し累積債務の整理と経営再建を計画、2007年1月に北の京芦別を精算しランドに経営権を譲渡した後施設も3月に同社が1億円で落札し4月から経営に乗り出した<ref name="cityhis"/>。
 
2008年4月8日に母体だった「株式会社 北の京芦別」が特別清算を受け、2008年11月までランドが営業。しかしその後も経営は安定せず不動産所有権が福島県の「豊島硝子」を経て芦別市内の「アイカム」により営業を継続するも赤字が続き<ref name="cityhis"/>、2011年10月29日に「経営元の株式会社アイカムが撤退するため10月31日をもって休業となり、従業員はすべて退職」という報道がなされたが、後に公式Webサイトにおいて「12月12日12時から営業再開」と告知され、休業期間は41日間で終了。
56 ⟶ 58行目:
*モノレールターミナル
;ホテル五重の塔
[[奈良県]]にある[[法隆寺]]の五重塔をモチーフとした宿泊棟。1977年5月着工、1978年1月開業<ref name="cityhis2"/>。高さ56.5m・11階建て和室全43室延床面積2,794平米<ref name="gaiyo13"/>。2階にロビーと10・11階に2層吹き抜けの展望台を設け室内に彫像類を展示するとともに園内や芦別市街を一望することができた。
;ホテル三十三間堂
[[京都府]]の[[三十三間堂]]をモチーフとした宿泊棟。2階建て洋室4室・和室52室延床面積3,330平米<ref name="gaiyo13"/>。屋根には本瓦6万枚や平等院の鳳凰を制作した職人による鳳凰像や、廊下には幅3m・長さ80mの絨毯やセラミック処理の花天井絵1600枚が設置され、部屋には大理石彩色の掛け軸や九谷焼の大型花瓶などを置き<ref>北・中空知と周辺のイベントアラカルト 北の京・芦別新たにホテルオープン、豪華な三十三間堂 - プレス空知1993年7月14日</ref>、2階ロビーには十二支毎の戦国武将のレプリカ甲冑が展示されていた<ref>[http://web.archive.org/web/20030222092616fw_/http://www8.ocn.ne.jp/~kita385/33.html ホテル三十三間堂] - 北の京・芦別(Internet Archive)</ref>。
 
== モノレール ==
かつて1988年7月31日からは本館3階の「北の京芦別」から大観音一階北西側の「北海道大観音」の2つの駅を結ぶ3両編成の跨座式[[モノレール]]が運行されていた。[[泉陽興業]]製でおり路線長550m、車両は3両編成で定員80名、最大時速11km<ref name="cityhis2"/>。[[泉陽興業]]が製造。これは[[鉄道事業法]]に基づく鉄道ではなく、あくまで遊具としてのものだったが、北海道において初めてのモノレールであった。乗車券は運行休止時点で大観音拝観料などとセットで600円で販売され、開業当時はアトラクションとしても人気を博した。しかし老朽化と多額の修繕費を理由に1999年6月に運行を停止、以降は自動車による送迎とし残されていた軌道も2008年頃に解体され北の京芦別と北海道大観音の2つの廃駅のみが残されている。
 
== その他 ==
奈良県奈良市の[[新薬師寺]]・北の礼拝所として十二支苑という干支の神様を祀った寺院・神社群が敷地内に建てられており、円形いた。中央並ぶ12基は青銅製小さな寺院聖徳太子像を収めた聖徳太子堂と周り十二支の守護神が奉られている。それら建造物に囲まれ中央には神社風の中央八角堂を配し、中央にはた<ref name="cityhis2"/>。[[聖徳太子]]を模して造られた拝観者の賽銭投入位置に応じて回転する仕掛けが組み込まれていた。池では多くの錦鯉が泳いでいた。
 
その他スポーツ施設として流水ジャンボプールが1985年に開設されたが<ref>[https://kakaku.com/tv/channel=6/programID=23080/episodeID=522175/ 「別冊アサ(秘)ジャーナル」 2011年10月31日(月)放送内容] - 価格.comテレビ紹介情報</ref>、後に廃止され跡地には日本庭園パークゴルフ場が運営されていたが、その後庭園となった。