「Template:歴代天皇一覧」の版間の差分

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* {{Smaller|第120代}} [[仁孝天皇]]{{Smaller|(1817 - 1846)}}
* {{Smaller|第121代}} [[孝明天皇]]{{Smaller|(1846 - 1866)}}
|group9=[[大日本帝国憲法|{{Color|#ffffff|大日本帝国}}]]
|list9=
* {{Smaller|第122代}} [[明治天皇]]{{Smaller|(1867 - 1912)}}
* {{Smaller|第123代}} [[大正天皇]]{{Smaller|(1912 - 1926)}}
* {{Smaller|第124代}} [[昭和天皇]]{{Smaller|(1926 - 1989)}}
|group10=[[日本国憲法|{{Color|#ffffff|日本国}}]]
|list10=
* {{Smaller|第125代}} [[明仁]]{{Smaller|(1989 - 2019△)}}
* {{Smaller|第126代}} [[徳仁]]{{Smaller|(2019 - 在位)}}
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* 第81代安徳天皇の在位の最後の2年間は、第82代後鳥羽天皇の在位の最初の2年間と重複する。
* 第96代後醍醐天皇の在位は、実際には2度の廃位と復辟をはさんだ鎌倉時代末期 {{smaller|(1318–31)}}、[[建武の新政|建武の新政期]]{{smaller|(1333–36)}}、吉野時代{{smaller|(1336–39)}}の3期にまたがるが、それぞれの廃位後に擁立された光厳天皇と光明天皇の即位を認めず、その間自身のみが一貫して天皇だったと主張した。なお今日では便宜上光厳天皇を北朝の最初の天皇とみなしているが、実際に南北両朝が並立するようになるのは、次の光明天皇が擁立されたのち後醍醐天皇が[[京都]]を脱出して[[吉野]]に拠った時点{{smaller|(1336)}}からである。
* 第122代明治天皇の在位年間に[[大日本帝国憲法]]及び[[皇室典範 (1889年)|旧皇室典範]]が公布された。
* 第124代昭和天皇の在位は、前半{{smaller|(1926-47)}}は大日本帝国憲法及び旧皇室典範に基づき践祚し、後半{{smaller|(1947-89)}}は[[日本国憲法]]及び[[皇室典範]]に基づき在位した。
* 第125代明仁以降の天皇は、日本国憲法及び皇室典範に基づいて[[皇位継承]]が行われている。
* 現行の<!-- 世数 --><!-- 「世数」という語は存在しますが意味が異なります -->天皇歴代は、南朝の天皇を正統とする観点から数えられている。北朝の天皇はこの天皇歴代には数えないものの、同時期に在位した正当な天皇として[[皇統譜]]に含めている([[南北朝正閏論|参照]])。<!-- 南北両朝は、南朝の第99代・後亀山天皇が北朝の後小松天皇に△位するかたちで合一した。 --><!-- 蛇足 -->後小松天皇の在位は、始めの10年間を北朝の天皇のそれとみなし、南北朝合一{{smaller|(1392)}}後の20年間を天皇歴代の第100代とみなしている([[明徳の和約|参照]])。