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* 大正の初年までは[[神功皇后]]を天皇歴代に含め、これを「第15代神功皇后」として仲哀天皇と応神天皇の間に置いていた。<!--
* 先史時代の呼称は文書によって伝説時代・神話時代など多種である。いずれも適当であるか否かは不明である。--><!-- 文脈に沿いません -->
* {{Bgcolor|#F2CEE0|赤背景}}は[[女性天皇|女帝]](8人10代の女性天皇)。
* 括弧内は在位年、「△」は譲位、「▼」は廃位、「?」は当該年に異説があることを示す。
* 大正の初年までは[[神功皇后]]を天皇歴代に含め、これを「第15代神功皇后」として仲哀天皇と応神天皇の間に置いていた。<!--
* <!-- 天皇名の前の数字は世数、「北朝」を付した数字は北朝の世数。--><!-- 自明 -->第37代斉明天皇は第35代皇極天皇の[[重祚]]。第48代称徳天皇は第46代孝謙天皇の重祚<!-- (一度退位した後、再び位に就くこと)のため、同一人物である --><!-- リンク先に詳述 -->。
* 第38代天智天皇の在位年は6年半に及んだ即位前の[[称制]]を含む。第41代持統天皇の在位年は3年半に及んだ即位前の称制を含む。
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* 第81代安徳天皇の在位の最後の2年間は、第82代後鳥羽天皇の在位の最初の2年間と重複する。
* 第96代後醍醐天皇の在位は、実際には2度の廃位と復辟をはさんだ鎌倉時代末期 {{smaller|(1318–31)}}、[[建武の新政|建武の新政期]]{{smaller|(1333–36)}}、吉野時代{{smaller|(1336–39)}}の3期にまたがるが、それぞれの廃位後に擁立された光厳天皇と光明天皇の即位を認めず、その間自身のみが一貫して天皇だったと主張した。なお今日では便宜上光厳天皇を北朝の最初の天皇とみなしているが、実際に南北両朝が並立するようになるのは、次の光明天皇が擁立されたのち後醍醐天皇が[[京都]]を脱出して[[吉野]]に拠った時点{{smaller|(1336)}}からである。
* 現行の<!-- 世数 --><!-- 「世数」という語は存在しますが意味が異なります -->天皇歴代は、南朝の天皇を正統とする観点から数えられている。北朝の天皇はこの天皇歴代には数えないものの、同時期に在位した正当な天皇として[[皇統譜]]に含めている([[南北朝正閏論|参照]])。<!-- 南北両朝は、南朝の第99代・後亀山天皇が北朝の後小松天皇に△位するかたちで合一した。 --><!-- 蛇足 -->後小松天皇の在位は、始めの10年間を北朝の天皇のそれとみなし、南北朝合一{{smaller|(1392)}}後の20年間を天皇歴代の第100代とみなしている([[明徳の和約|参照]])。
* 第122代明治天皇の在位年間に[[大日本帝国憲法]]及び[[皇室典範 (1889年)|旧皇室典範]]が公布された。
* 第124代昭和天皇の在位は、前半{{smaller|(1926-47)}}は大日本帝国憲法及び旧皇室典範に基づき践祚し、後半{{smaller|(1947-89)}}は[[日本国憲法]]及び[[皇室典範]]に基づき在位した。
* 第125代明仁以降の天皇は、日本国憲法及び皇室典範に基づいて[[皇位継承]]が行われている。
* 現行の<!-- 世数 --><!-- 「世数」という語は存在しますが意味が異なります -->天皇歴代は、南朝の天皇を正統とする観点から数えられている。北朝の天皇はこの天皇歴代には数えないものの、同時期に在位した正当な天皇として[[皇統譜]]に含めている([[南北朝正閏論|参照]])。<!-- 南北両朝は、南朝の第99代・後亀山天皇が北朝の後小松天皇に△位するかたちで合一した。 --><!-- 蛇足 -->後小松天皇の在位は、始めの10年間を北朝の天皇のそれとみなし、南北朝合一{{smaller|(1392)}}後の20年間を天皇歴代の第100代とみなしている([[明徳の和約|参照]])。
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