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* 横綱昇進の2年後あたりから、自身や部屋の後援会の関係者から頻繁に見合い話を持ちかけられていたが、本人は「まだまだやらねばならぬことや勉強がいくらもある」という理由で、結婚は昇進から5年後の26歳の誕生日を迎えてからと考えていた<ref>「大鵬自伝」P178-179</ref>。実際に挙式は27歳の誕生日の翌日に行われた<ref>「大鵬自伝」P185</ref>。夫人の生家は[[秋田県]]の[[菓子舗榮太楼|和菓子店]]であり、夫人の実弟が2020年現在社長を務めている。
* なお、この過程で師匠・二所ノ関からも縁談を持ち掛けられ、しかもその際に「結婚を承諾するなら将来は二所ノ関部屋の後継者として考えてもよい」と暗に漏らされていながら、断ったということを著書で明かしている<ref>「大鵬自伝」P179</ref>。後年、二所ノ関の死去後に後継を巡る争いが起きた際に大鵬も名乗りを上げながら、結局実現しなかったのはこのことも影響していると言える。
* 1994年に三女と貴闘力が結婚、2004年に大鵬部屋は大嶽部屋として継承された。三女によると大鵬は「頼られると全部受け入れてしまう人」で、貴闘力が[[賭博]]で作った[[借金]]を何度も肩代わりしていたという。貴闘力は大鵬に誓ってギャンブルをやめたものの、大鵬に隠れて借金をして[[公営競技|公営ギャンブル]]をするようになり、[[賭博|野球賭博]]にも手を出したことから2010年7月に相撲協会を解雇となった。4人の孫が後継者として入門することを夢見て、大鵬が大嶽部屋の改装に着手していた矢先のことであった。大鵬は貴闘力に離縁を申し渡し、三女と貴闘力は離婚。三女は父親を裏切った罪悪感から大鵬と離れて暮らすようになった。その後も大鵬は二人を心配し「いつでも帰っておいで」といってお<ref>{{Cite web|title=貴闘力「最後に顔見られて良かった」 - 大相撲ニュース|url=https://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20130120-1074377.html|website=nikkansports.com(2013年1月20日)|accessdate=2021-06-23|language=ja}}</ref>、貴闘力は2003年の大鵬の最期に立ち会っている<ref>{{Cite web|title=元娘婿・貴闘力の鎌苅氏は涙 大鵬さんの死に「懐が深かった」 - スポニチ Sponichi Annex スポーツ|url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/01/20/kiji/K20130120005020800.html|website=スポニチ Sponichi Annex(2013年1月20日)|accessdate=2021-06-23|language=ja}}</ref>。しかし、貴闘力は葬儀への参列を許されなかった<ref>{{Cite web|title=大鵬の娘が語る、父の教えで乗り切った「シングルマザーの子育て」 {{!}} 女性自身|url=https://jisin.jp/sport/1621993/|website=WEB女性自身(2018年1月12日)|accessdate=2020-12-14|language=ja|publisher=}}</ref><ref>{{Cite web|title=元関脇・貴闘力氏招きギャンブル依存症対策を考えるシンポジウム開催|url=http://www.goraku-sangyo.com/archive.php?eid=04065|website=www.goraku-sangyo.com(2015年11月30日)|accessdate=2020-12-14|publisher=娯楽産業協会}}</ref>。
 
== 主な成績 ==