「ストリーキング (パフォーマンス)」の版間の差分

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[[1973年]][[12月]]の[[タイム誌]]は、ストリーキングを「[[ロサンゼルス]]界隈の[[大学生]]を虜にしつつある流行」と評した。またその記事に対して、「ここだけの話、実は、過去20年間、ストリーキングは、[[ノートルダム大学]]の[[大学]]警察を悩まし続けてきていたのです。さらに、ノートルダム大学のストリーキングのグループが、[[1972年]]に行われたストリーキング・オリンピックを提案したのです」という情報提供がなされた。
 
[[1974年]][[3月7日]]、[[ジョージア大学]]で1549人が参加するという最大規模のストリーキングが敢行された。その場所は[[ジョージア大学]]である。この記録に続くのは、[[コロラド大学]]ボールダー校で1200人が参加したストリーキング、そして、[[メリーランド大学]]では、1974年3月に553人の裸の学生が3[[マイル]]に渡ってストリーキングを行った。最近では、[[南カリフォルニア大学]]で508人がストリーキング行為に及んだ。さらに1974年、[[アースキン大学]]では、全学生の1/4に当たる600人の学生がストリーキングをやり遂げ、「最高の参加率を誇るストリーキング」を名乗った。
 
期末試験の最終日前夜、[[ハーバード大学]]では、学部生たちによる「産声(Primal Scream)」が行われる。学生は[[男性|男]][[女性|女]]を問わ衣服を脱ぎ、[[ハーバードヤード]]を2周する。中には[[パンティー]]を着用する人もいた。2学期制の[[ハーバード大学]]では、この行事が年2回開催されるわけだが、その1回は極寒を誇る[[ニューイングランド地方]]の冬に行われることになる。参加者の中には[[ケープ]]や[[マスク]]を身につけるものもいるが、[[性器]]は丸出しのままである。ストリーキングが行われる周辺は見物者で埋め尽くされ、開始前には[[楽隊]]の演奏が群集を盛り上げる。
 
[[プリンストン大学]]にも、長いストリーキングの伝統が存在してきた。[[1970年]]に起こったストリーキング事件は、悪ふざけの手段として行動に移されただけであったのだが、やがてそれが2年生たちの伝統行事になっていき、行事の決まりがまとめられるまでに至った。[[1990年代]]までにその伝統が廃れてくるのと同時に、大学本部もその伝統に対して寛容ではなくなっていった。そして[[1999年]]の末に、理事会は行事の参加を禁じた。理由はそれが危険であることそしてまた外部の人間の関与が大きすぎるいうことであっして行事の参加を禁じた。
 
[[1983年]]、[[シカゴ大学]]のストリーキングは、学生たちが冬の憂鬱な気分を振り払うために、冬季学園祭に行われる年に1度の伝統行事となった。この行事には、参加者を越える見物人が集まる。