「横浜の都市デザイン」の版間の差分

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=== 金沢シーサイドタウン ===
[[画像:The aerial photo of the seashore of southern Kanazawa-ku 1985.png|thumb|中央上:金沢シーサイドタウンと金沢工業団地 左下:海の公園 中央下:八景島(1985年)]]
{{See|金沢地先埋立事業#金沢シーサイドタウン}}
 
==== 住宅地の全体計画 ====
金沢シーサイドタウンの住宅地は、地区全体の約12%・82ha。工場の従業員や市民のための計画人口30,000人の住宅用地である。また、横浜市内に残る最後の自然海岸を持った海を失う代償として、砂浜のある[[海の公園]]や[[八景島|八景島]]が建設された。さらに、旧海岸線の自然地形と緑の保全のため、これに沿って帯状の公園をつくり、また、新しくできた水際線沿いには緑地を設け、地区内の河川沿いには緑道を設けるなど、緑のネットワークを形成している。
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住宅地の計画は、周囲にループ状の道路を巡らし、住宅地内への通過交通を排除するとともに、歩行者専用道路、広場、児童公園(街区公園)などの歩行者系施設からなる安全で快適な歩行者空間を形成している。この骨格を中心に低層住宅、小中学校、幼稚園、商業施設などをリンクさせて、魅力的な集合住宅を形成させるため、様々な工夫が行われている。
一号地、二号地北ブロック、二号地南ブロック、三号地と事業の進捗にとともに変化する事業者や社会的な背景に従って、少しずつ設計方法と内容の修正も行っている。<ref name="SD" />
 
===== 一号住宅地(並木一丁目) =====
富岡川北側の区域で、住宅地の中で最初に事業化が図られ、当初の全体計画に基づいて実施された。
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設計の分担の方法、作業の進め方、会議の方法、作業の時間配分など7者とも初めての経験であり、また4人の設計者の「街と建築」に対する考えの違い、そして建築物本体の設計段階での事業サイドの時間的な理由などによって、7者テーブルがもたれずに終わったことなど、全体の進行は必ずしも当初横浜市が意図した通りにはいかなかった。
しかし、計画開発の中にアーバンデザインの考え方を導入したことは、街づくりとしてより良い都市環境をつくり出していくことと、それに参加する組織や人の関係などについて、様々な問題を明らかにすることができた。また、街づくりと建築の取組に対する新しい課題を投げかけることができ、その後の計画開発に反映する多くの示唆を与えることができた。<ref name="SD" />
 
===== 二号地南ブロック(並木三丁目) =====
二号地南ブロックは、住宅開発事業者が5者(神奈川県労働者住宅協会、[[横浜市住宅供給公社|横浜市住宅供給公社]]、[[神奈川県住宅供給公社|神奈川県住宅供給公社]]、[[住宅・都市整備公団|住宅・都市整備公団]]関東支社、横浜市建築局)となった。
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そして、南ブロックではじめてデュアルユースパーキングを採用した。これは車の所有率が急激に増加し、従来の駐車場の設置方式では住棟間のオープンスペースの多くが車で占拠されてしまうために採用された。そのスペースのつくり方などについて共通の仕様を設け、一団地認定の特例扱いで実施している。
二号地南ブロックは、5つの事業者と各々に異なった設計者による住宅建設事業となったために、計画開発におけるアーバンデザインの手法の導入について、北ブロックよりも深度化されたと考えられる。<ref name="SD" />
 
===== センター地区 =====
金沢シーサイドタウン住宅地のための商業機能を中心としたサービスを提供するために、センター地区が1か所、サブセンター地区が2か所計画された。
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横浜市の基本計画は[[大高正人|大高建築設計事務所]]が行った。
事業主体は[[横浜市住宅供給公社|横浜市住宅供給公社]]で、設計は、センター施設は[[大高正人|大高建築設計事務所]]、住宅棟は[[市浦健|市浦都市建築設計事務所]]が行った。<ref name="SD" />
 
===== 公共公益施設のデザイン =====
計画開発による住宅地のモデルとして、また将来に残るストックとして、良好な住環境の形成に向けて多くの工夫や試みが行われたが、街の骨格となる様々な公共公益施設についても、開発基本計画の主旨に沿うとともに、地域環境の整備水準の目標となるような内容と質を持ったものにするよう住宅建設事業者の協力を得ながら整備が進められた。<ref name="SD" />
 
====== 公共建築 ======
金沢シーサイドタウン住宅地の中の公共建築は、中学校2校、小学校4校、保育園3園、スポーツセンターがあり、各々に歩行者専用道路との関係や形態など地域の目標に沿って設計されている。中でも中学校については、質の向上に向けて新しい取り組みを行った。
教育施設、地域施設としては重要な役割を果たす公立学校の建築については、横浜市では急激な人口増加を背景に年間数十校の新増築に対応せざるを得ない状況にあり、土地の取得難、敷地の狭隘、土地造成と建築設計の無調整、短い設計期間、安い工事費、安い設計料、標準設計の縛り、教育システムの保守性、管理運営の保守性、学校間の平等性等々、その質の向上にについて非常に厳しい環境に置かれていた。
金沢シーサイドタウンの学校では敷地面積が比較的広く確保できたこともあって、並木第一小学校をはじめ、公立小学校として最善の試み実施できた。そしてその後の学校建築の設計の進め方に多少なりとも影響を与えている。<ref name="SD" />
 
====== 道路 ======
車と人の交通の体系を分離した道路のネットワークは、計画論として最も進んだものを取り入れている。またループ道路や地区内道路など車道を中心とする道路の幅員や横断構成なども十分に確保され、歩行者専用道路は事業の進捗と街の構成により、少しづつ内容を変化させているが、周辺の施設計画を調整をしながら各々工夫を凝らした道を実現している。<ref name="SD" />
 
====== 公園 ======
旧水際線に沿って配置された富岡公園や長浜公園は、歩行者専用道路と一体となった空間を構成し、児童公園(街区公園)の新しいあり方を探りながら、場所に応じて各々に工夫を凝らした設計となっている。<ref name="SD" />
 
====== サイン ======
集合住宅にあっては、空間んおつくられ方に変化が少なく、当初は新住民ばかりが入居しているので、特にサインの存在が重要になる。