「お菊さん (オペラ)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
作曲の過程の追加
三浦環はローマとパリでは蝶々夫人を歌っており、ここでは不必要です。
12行目:
ルネサンス座での初演の評判はあまり芳しくなく、16回の公演で打ち切りとなった。一方で、玄人筋の間ではその音楽が高く評価された<ref>『ロマン派音楽の多彩な世界』P142</ref>。
初演の反応は賛否両論となったが、『ユニヴェール・イリュストレ』紙では「ルネサンス座の杮落し公演を飾る初演作品は『[[二羽の鳩]]』と『{{仮リンク|司法書記団|en|La Basoche}}』の作者であるアンドレ・メサジェ氏による素晴らしい詩劇である。詩のセリフは妙なる独創性に溢れ、曲は魅力的で、演出は芸術的趣味と贅沢の奇跡である。したがって、『マダム・クリザンテーム』の成功は確かなものとなった。-中略-口上を迎え入れた熱狂的な拍手は本作がルネサンス座のポスターに長い間その場を占めるであろうと期待できるのである」<ref>『舞台の上のジャポニスム』P182、183</ref>。さらに、『幕間』紙のフェルナン・プジャは本作が「観客の情熱を掻き立てたと書き記すことは我々の実に喜びとするところである。-中略-ヒロインの性格は劇場という場の必要性から、変更が少し加えられていることは事実である。本の中の疑り深い小さな〈人形〉はセンチメンタルで真面目になっているが、筋立ての基本はほぼ変わっていない」としているが<ref>『舞台の上のジャポニスム』P183</ref>、一方、『ル・モンド・アルティスト』紙では「マダム・クリザンテーム、この存在は奇妙で女でもなければ子供でもない。せいぜい人形といったところだろう」<ref>『舞台の上のジャポニスム』P184</ref>と「劇らしさのないこと」を批判しているように「小説にあった微妙な心理的ニュアンスが劇では全くなくなってしまったことを嘆く」批評も見られた<ref>『舞台の上のジャポニスム』P185</ref>。これは原作を高く評価する場合に見られる現象である。
[[File:Tamaki Miura March 25 1916.jpg|thumb|upright=0.9|1916年の三浦環]]
 
パリでの初演後、モンテカルロ(1901年12月〜1902年1月)、ブリュッセル(1906年)、ケベック(1929年)などのフランス語文化圏で上演された。<ref>[https://www.artlyriquefr.fr/oeuvres/Madame%20Chrysantheme.html Association l’Art Lyrique Français]</ref>
[[アメリカ]]初演は[[1920年]][[1月19日]]、[[シカゴ]]の公会堂にて行われた<ref>『オックスフォードオペラ大事典』P121</ref>。[[三浦環]]はこの時、主役を歌い、ついで[[ローマ]]のコスタンツィ座に出演し、[[1923年]]にはパリの[[オペラ・コミック座]]に出演し<ref>『歌劇大事典』P393</ref><ref> 考証『三浦環』P.329,347</ref>。「三浦環は1920年に[[ニューヨーク]]のレキシントン座で本作のタイトル・ロールを歌った。彼女は[[1922年]][[5月1日]]に8年ぶりに帰朝した際に記者会見で欧米での体験について語ったが、その中で『蝶々夫人』や『お菊さん』はよく受けたと語った」とされている<ref>『ロマン派音楽の多彩な世界』P142</ref>。メサジェの本作は当初人気を集めたが、間もなくレパートリーから姿を消した。復活の動きもあったが、結局は後続の『蝶々夫人』の登場によってその機運も消滅した<ref>『ロマン派音楽の多彩な世界』P142</ref>。しかし、アリア「恵みの太陽が輝く日」(''Le jour sous le soleil beni'')〈蝉たちの歌〉はオペラ自体がレパートリーから消えた後も歌手たちの関心を引き、[[マディ・メスプレ]]、 [[バーバラ・ヘンドリックス]]、[[スミ・ジョー]]、宮川美子、{{仮リンク|ミア・パーション|en|Miah Persson}}、[[ソーニャ・ヨンチェヴァ]]、{{仮リンク|サビーヌ・ドゥヴィエル|en|Sabine Devieilhe}}、福田美樹子、[[田中彩子]]などによって歌われ、録音もされている。
 
日本では[[2018年]] [[4月30日]]に『お菊夫人』として アトリエ・デュ・シャンによって [[大泉学園|大泉学園ゆめりあホール]]において[[村田健司]]の指揮により コンサート形式で、ハイライトにて上演されたという記録が残っている<ref>[https://opera.tosei-showa-music.ac.jp/search/Record/PROD-16815 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター]</ref>。また、[[新型コロナウイルス]]の影響で、1年間延期されていた[[日本橋オペラ]]による日本初演が[[2021年]] [[5月29日]]と30日の両日に亘って、日本橋劇場にて実施された<ref>[https://www.music-tel.com/NihonbashiOpera/archive/2021Okikusan/index.html 日本橋オペラのホームページ]</ref>。この公演は全曲舞台上演としては世界で92年ぶりの蘇演であった。上演は日本語訳詞による歌唱で、タイトルロールのお菊さん役を歌った福田祥子が演出もつとめ、[[佐々木修 (指揮者)|佐々木修]]が指揮、居福健太郎によるピアノ伴奏に加えて打楽器が補足され、バレエに代わり[[金春流]][[能楽師]]の[[山井綱雄]]が能を舞うという斬新な試みがなされた<ref name="p">[https://www.music-tel.com/NihonbashiOpera/archive/2021Okikusan/2021_Okikusan_program.pdf 日本橋オペラ「お菊さん」日本初演のプログラム]</ref>。
87行目:
=== 第2幕 ===
;長崎、結婚初夜の翌朝、お菊さんの家
[[File:Tamaki Miura March 25 1916.jpg|thumb|upright=0.9|1916年の三浦環]]
 
メランコリックな前奏曲。義母のお梅は天照大神に、全ての人のけがれを祓い、健康を守ってくれと祈る。彼女はお菊さんとピエールがまだ寝ている寝室の襖を開け、すぐに閉める。お梅は白人の男は魅力的だと思わずつぶやき、特に背の高いイヴがお気に入りの様子で、必死に自分の貞操感を抑える。イヴ、勘五郎、義父のサトウがやってくる。サトウは画家で、勘五郎はピエールからお菊さんの両親への謝礼として、サトウにコウノトリの絵を描かせる。ピエールはブルターニュで見た夢の国「日本」を思い出し、お菊さんへの愛を歌う。お菊さんは花瓶に花を飾りながら、花と蝶の運命を語る。ピエールはお菊さんに益々惹かれ、彼女への愛を誓う。お菊さんは「言葉は裏切るので誓わないで」と答える。遠くからフランス民謡が聞こえてくる。ブルターニュの古い習慣に従い、水兵やお菊さんの友人の娘たちが、結婚翌朝に夫婦を祝福にきたのだ。お菊さんの義妹のお雪は、イヴから習ったブルターニュの祝いの歌を歌い、皆で祝宴に出発する。
131 ⟶ 130行目:
*『オペラで楽しむヨーロッパ史』[[加藤浩子]] 著、(平凡社新書0936)(ISBN 978-4582859362)
*『お菊さん』(岩波文庫)ピエール・ロティ (著)、野上豊一郎 (翻訳)、[[岩波書店]](ISBN 978-4003254639)
*考証『三浦環』田辺久之著、近代文藝社 1995(ISBN4-7733-4370-2)
 
== 外部リンク ==