「残唐五代史演義伝」の版間の差分

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[[北宋]]時代、その都『東京』は栄え<ref>960年の[[陳橋の変]]で、[[後周]]から禅譲を受けた[[趙匡胤]]は[[開封府]]を都とし、東京(とうけい)と称した。</ref>、様々な講釈等の技芸が出現した。[[五代十国時代]]の英雄譚などが好評を博していた<ref>[[南宋]]時代の孟元老なる人物が東京を回顧して書いた『[[東京夢華録]]・巻五』に尹常賣という五代史説者の名がある。{{wikisourcelang-inline|zh|東京夢華錄/卷五}} 京瓦伎藝の条。</ref>。やがてそれらの種本や、講釈録を基に敷衍加筆を重ね、[[明]]代に集成され[[演義]]という形式の[[白話小説]]が完成したとされる。
 
『残唐五代史演義伝』とは、史建唐率いる五龍からなる五方五帝陣と先鋒の高行周と英雄[[李存孝]]<ref>旧五代史五十三巻に李存孝伝がある。{{wikisourcelang-inline|zh|舊五代史/卷53}}</ref>らが、敵役である[[後梁]]の豪傑王彦章を滅ぼすという物語を主軸に展開するフィクションである。五龍とはのちの後唐の荘宗[[李存勗]]、明宗[[李嗣源]]、後晋の高祖[[石敬瑭]]、後漢の高祖[[劉知遠]]、後周の太祖[[郭威]]である<ref>大塚秀高『嘉靖定本から万暦新本へ―熊大木と英烈・忠義を端緒として―』[https://doi.org/10.15083/00027131 紀要論文]</ref>。
 
== 注・出典 ==