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本人は福岡第一高に進学した理由を「夢は[[NBA]]。その為に1年生の時から試合に出て経験を積めて、セネガル人留学生とコミュニケーションがとれる福岡第一に入学した」と語っており<ref>[[月刊バスケットボール]]2006年3月号より</ref>、[[月刊バスケットボール]]ではプレイスタイル等から並里を「ファンタジスタ」と評した。
 
高校卒業後は[[井上雄彦]]が創設した[[スラムダンク奨学金]]の第1期奨学生に選ばれ、アメリカのプレップスクールであるサウスケントスクールに留学する<ref name="shueisha">{{cite web|url=http://slamdunk-sc.shueisha.co.jp/report/report01.html |title=スラムダンク奨学金 第1回奨学生の近況報告 |publisher=[[集英社]] |accessdate=2014-03-22 }}</ref>。スクールのチームメイトには[[アイザイア・トーマス (1989年生のバスケットボール選手)|アイザイア・トーマス]]がいた<ref name="asahi" />。大学進学を目指した並里は、選手としては一定の評価を受けたが、学業面、特に英語能力が進学に必要なレベルに達しなかったため、進学を断念し、帰国<ref>{{Cite web|url=http://slamdunk-sc.shueisha.co.jp/common/data/namisato_vol3.pdf |title=並里レポート vol.3|author=宮地陽子 |format=PDF |accessdate=2014-07-21}}</ref>。2009年7月、[[リンク栃木ブレックス]]と選手契約を結び、プロ選手となった<ref name="shueisha"/>。JBLでの高卒ルーキーは[[川村卓也]]に次いで2人目であり、平成生まれの選手もJBLでは初めてであった。
 
[[JBL 2009-10]]シーズンに栃木はJBL初優勝を果たすが、並里は出場試合数18、出場時間は1試合平均4.9分と、限られた出場機会しか得られなかった<ref>{{Cite web|url=http://sports.yahoo.co.jp/sports/basket/all/2012/columndtl/201205110003-spnavi |title=悩めるエース・並里成、覚醒なるか?=bjリーグプレーオフ スラムダンク奨学生第1期生の現在位置 |author=河合麗子 |date=2012-05-11 |work=スポーツナビ |accessdate=2016-09-08}}</ref>。