「鄢陵の戦い」の版間の差分

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戦後、子反は戦いの最中の失態を子重に責められて自殺する<ref>『[[春秋左氏伝]]』の記述より。『[[史記]]』楚世家の記述では、撤退直前に陣中で誅殺されている。</ref>。
 
勝った晋であったが、厲公がこの勝利により増長し、この後の晋に災いが来る事を恐れた<ruby><rb>士</rb><rt>し</rt><rb>燮</rb><rt>しょう</rt></ruby>は家臣に己を呪わせて死ぬ。その後の厲公は威勢を頼んで国内の豪族達を廃して公室の力を取り戻そうと画策し、大族・<ruby><rb>郤</rb><rt>げき</rt></ruby>氏の[[卿]]三人を殺した。しかし、これで自分達もそうなるのではと恐れた[[<ruby><rb>欒</rb><rt>らん</rt><rb>書</rb><rt>しょ</rt></ruby>]]と[[中行偃|荀偃(中行偃)]]によって殺されることになった。
 
先立っての[[邲の戦い]]で楚へと傾いていた覇権はこの戦いの勝利により晋へと傾く。厲公が殺された後に晋では名君[[悼公 (晋)|悼公]]が登場して覇権を確たるものとする。