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[[1901年]](明治34年)に、[[内田良平 (政治運動家)|内田良平]]らが'''[[黒龍会]]'''(玄洋社の国外工作を担う)を設立してからは、より多彩な活動が展開されるようになる。[[孫文]]らの[[辛亥革命]]を支援するために、多くの[[大陸浪人|浪人]]たちが清朝政府軍やその後の軍閥政府軍と戦っている。
 
[[日露戦争]]中全般にわたり、[[ロシア]]国内の政情不安を画策してロシアの継戦を困難にし、日本の勝利に大きく貢献した[[明石元二郎]]も玄洋社の社中(社員)であった。[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[参謀本部 (日本)|参謀本部]]参謀次長[[長岡外史]]は「明石の活躍は陸軍10個[[師団]]に相当する」と評した。また、[[ドイツ帝国|ドイツ]][[ドイツ皇帝|皇帝]][[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]は「[[明石元二郎]]一人で、[[満州]]の日本軍20万人に匹敵する戦果を上げている。」といって称えた。
 
また、日韓問題については、内田良平は一進会の領袖[[李容九]]と、日本と[[大韓帝国]](韓国)の対等な立場での合邦を希望し運動した。