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== 日本陸軍 ==
陸軍の空軍万能論は、ドゥーエ、ミッチェルに同調する者もいたが、大勢はフランスのジョノー少佐の所論でさえ誇大妄想として軽視されていた。1922年に陸軍大学校教官の小笠原數夫少佐が陸軍大学で発表した「航空部隊用法ニ関スル一般原則」は地上作戦の協力がほとんどで、偵察を重視していたが、制空権の価値にたいする認識の萌芽も見られた<ref>戦史叢書52陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで220頁</ref>。フォール大佐やジョノー少佐らの仏国用法思想は、地上作戦への協力を重視するものであり、本案は認められ、参謀本部で研究され陸軍の基礎となった<ref>戦史叢書52陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで224頁</ref>。1928年3月20日、統帥綱領制定では、航空は攻勢用法に徹底して、戦場空中の防空、制空獲得の姿が消え、地上作戦の協力が重視された<ref>戦史叢書52陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで294-295頁</ref>。空軍万能論を具現化する、戦局を決しうる航空打撃力([[戦略爆撃機]])に所要の性能、航続力と爆弾搭載、速力や防御武装・防弾装備を具備するのは四発以上の重爆撃機になるが、日本は現実問題として発動機生産能力の限界から四発機を満足に戦力化できなかった
 
== 日本海軍 ==
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== 海外 ==
アメリカ陸軍の[[ウィリアム・ミッチェル]]は空軍独立論者であり、戦艦無用論の提唱者であった。1921年7月13日~21日、ミッチェルによって陸海軍協同で戦艦に対する大規模な爆撃実験を行なわれた。陸軍航空隊のマーチン爆撃機(MB-2)で大西洋岸に浮かべた実験艦に対艦爆撃を行い、ドイツの戦艦オストフリースランドを2000ポンド(900キロ)爆弾で撃沈した。実験では他に旧式戦艦ニュージャージー、軽巡洋艦フランクフルトなどを撃沈させている。ミッチェルはその後、アメリカ空軍の設立を各方面に説いてまわったが容れられず、ついには軍首脳の不興を買って左遷されたが、戦艦無用論をしつこく宣伝して自説を曲げることはなかった<ref>山本親雄『大本営海軍部』朝日ソノラマ52-53頁、兵頭二十八『パールハーバーの真実』PHP文庫</ref>。
 
後年の、戦中以前の日本批判の文脈で、しばしば大艦巨砲主義の象徴的な[[大和型戦艦|大和]]を槍玉に、旧海軍を後進的と論難する向きもあるが、当時の他国も戦艦から航空主兵へ移行する確固としたビジョンはまだ無かった。事実、ロンドン条約後に日本が建造した戦艦は大和型2隻に対し、イギリスは8隻、アメリカは10隻に及ぶ。さらには就役が戦後にずれ込んだ[[ジャン・バール (戦艦・2代) |フランス]]や[[ヴァンガード (戦艦)|イギリス]]、戦艦は作っても空母の戦力化に到らなかった[[グラーフ・ツェッペリン|ドイツ]]や[[アキラ (空母)|イタリア]]。[[ソビエツキー・ソユーズ級戦艦|未成の巨大戦艦]]を抱えて終戦を迎えたソ連等のありさまから明白である。航空主兵の観点における日本は、裏づけの無い未知領域に踏み込んだ、むしろ先鋭的であった。
 
== 脚注 ==