「マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・オルレアンス」の版間の差分

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[[1860年代]]のスペインは、革命の動乱の中にあった。伯母イサベルが退位すると、マリアの一家も亡命した。[[1872年]]、12歳のマリアは従兄のアストゥリアス公アルフォンソと初めて出会った。
 
[[File:Le mariage du roi Alphonse XII et de la princesse Mercédés dans la cathédrale d'Atocha, de Vierge.jpg|thumb|right|290px|アルフォンソ12世との結婚式<ref>[[ダニエル・ヴィエルジュ]]画、『ル・モンド・イリュストレ』1878年2月9日号掲載。</ref>]]
[[1876年]]、アルフォンソの即位が実現すると、同時にマリアとの結婚が発表された。この結婚に不同意のイサベル2世は([[カルリスタ王位請求者の一覧|カルリスタ王位請求者]]の[[カルロス・マリア・デ・ボルボーン (マドリード公)|マドリード公カルロス]]の娘[[ブランカ・デ・ボルボーン (1868-1949)|ブランカ]]と結婚させて、国内の対立を沈静化させる計画だった)、マリアに会おうともしなかった。自分の意が通らないなら一生結婚しないと言ったアルフォンソは、[[1878年]]1月にマリアとアトーチャ教会で挙式した。マリアの黒い瞳と黒髪は「[[アンダルシア州|アンダルシア]]の夜の漆黒」と謳われた。この挙式は、スペイン史で広く知られるものの一つである。