「安寧天皇」の版間の差分
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# 奈良県[[大和高田市]]三倉堂・片塩町 (『[[大和志]]』『古都略紀図』)
# [[大阪府]][[柏原市]] (『[[古事記伝]]』『[[大日本地名辞書]]』)
安寧天皇前後の諸宮が全て[[奈良盆地]]の中に位置することから、候補としては第1・2説が有力視されるが明らかでない。大和高田市では[[石園座多久虫玉神社]]境内に「片塩浮孔宮阯」碑が建てられている({{
== 陵・霊廟 ==
[[File:Tomb of Emperor An-nei, haisho.JPG|thumb|220px|right|{{center|安寧天皇 畝傍山西南御陰井上陵<br />(奈良県[[橿原市]])}}]]
[[天皇陵|陵]](みささぎ)の名は'''畝傍山西南御陰井上陵'''(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)。[[宮内庁]]により[[奈良県]][[橿原市]]吉田町にある俗称「アネイ山」に治定されている({{
陵について『日本書紀』では前述のように「畝傍山西南御陰井上陵」、『古事記』では「[[畝傍山|畝火山]]の美富登(みほと)」の所在とあるほか、『[[延喜式]]』諸陵寮では「畝傍山西南御陰井上陵」として兆域は東西3町・南北2町、守戸5烟で遠陵としている{{Sfn|畝傍山西南御陰井上陵(国史)}}。しかし後世に所伝は失われ、元禄修陵では所在を誤ったが、幕末修陵に際して現陵に治定された。陵号の由来になったとされる古井戸の「御陰井」が陵南の集落中にあり、陵と共に[[宮内庁]]によって管理されている{{Sfn|畝傍山西南御陰井上陵(国史)}}。
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