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'''曽根 幸一'''(そね こういち、[[1936年]][[12月7日]] - )は日本の[[都市計画家]][[建築家]][[アーバンデザイナー]]。曽根幸一環境設計研究所所長。[[芝浦工業大学]][[システム工学部]][[環境システム学科]]名誉[[教授]]。[[静岡県]]出身。息子は国際的なアーティストの[[曽根裕]]は息子
 
== 略歴 ==
* 1936年[[静岡県]]に生まれる。
* 1959年、[[東京芸術大学]][[美術学部]][[建築科]]卒業。
* 1964年[[東京大学]][[大学院]][[建築学]]専攻博士課程満期退学。[[東京大学工学部]][[都市工学科]]助手を環境設計研究所設立し主宰。
* 1967年、東京芸術大学建築科講師(この間、東京大学[[丹下健三]]研究室で各種の設計に従事)
* 1968年、環境設計研究所を設立・主宰 (現、曽根幸一・環境設計研究所)
* 芝浦工業大学[[システム工学部]][[環境システム学科]]教授を経て、名誉教授。
 
== 作品 ==
===施設作品===
* [[日本万国博覧会]]基幹施設レイアウト(1969年、[[大阪市]])-日本建築学会特別賞
* :同計画の延長として「[[オートウォーク|動く歩道]]と7つの[[広場]]」を設計
* 長岡市民体育館(1991年、[[新潟県]])-日本建築士会連合会賞最優秀賞
* 秋田県八郎潟生物資源総合開発利用センター(1988年、[[秋田県]])
* 秋田市健康センター(1985年、[[秋田県]])
* 高崎市東貝沢団地(1985年、[[群馬県]])
* 水戸桜ヶ丘アパート(1984年、[[茨城県]])
* 長野真島団地([[長野県]]、1984年)
* 湖畔のアトリエ([[山梨県]]、1974年)
* 西方1丁目団地(東京都、1989年)
* 赤村ふるさとセンター([[福岡県]]、1999年)
* 下館ゴルフ倶楽部・クラブハウス(茨城県、1996年)
* 東京臨海新交通ゆりかもめ駅舎(東京都、1995年)
* 川崎市幸老人福祉センター([[神奈川県]]、1994年)
* 稲城市体育館(東京都、1993年)
* 江守画廊内装(東京都、1991年)
* 目黒コーポラティブハウス・セルズ(東京都、2003年)
* 多摩市立複合文化施設([[パルテノン多摩]])(1992年、[[多摩市]])-公共建築賞優秀賞
* 幕張ベイタウン・セントラルパーク託児所(千葉県、2001年)
* 幕張ベイタウン パティオス11番街(1997年、[[千葉市]])- [[BCS賞]]
* 幕張ベイタウン・パティオス(1999年、[[千葉市]])- [[グッドデザイン賞]]・アーバンデザイン賞
* 幕張ベイタウン・マリーンデッキ(2002年、[[千葉市]])- [[グッドデザイン賞]]
* 富山県総合運動公園全体計画、同陸上競技場(1993-2000年、[[富山市]])
* いわて県民情報交流センター アイーナ(2000-2005年、[[岩手県]])
 
 
都市デザインの観点から建築を捉える姿勢をとっている。建築を都市・環境のファブリックの一部と考えることから、建築の設計のみでなく、土木・造園・ID・アートなど他領域とのコラボレーションやマネージメントそのものを業務とする場合もある。