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[[File:SHOKO FUJIKAWA-Max.jpg|thumb|SHOKO FUJIKAWA-Max]]
 
[[1998年]]頃から始動のユニット「Les Logos」始動、楽曲制作に力を入れ自身がオーガナイズすイベントをスタート、
 
DJスタイルも進化し当時の日本のクラブシーンに浸透していなかったU.K[[アンダーグラウンド (文化)#文化としてのアンダーグラウンド|アンダーグラウンド]]クラブサウンド、U.K[[アシッド・テクノ|アシッドテクノ]]を取り入れ世界観を表現。同年、[[新宿]] [[LIQUIDROOM]]で開催された元[[LAUGHIN' NOSE]]のベーシスト[[YOJI]] BIOMEHANIKAがオーガナイズするイベント・VIVA・や[[渋谷]]で開催されていた・CROSSOVER・などにレジデンツDJとして参加・出演。
 
本人によ[[1999年]]自身がオーガナイズするイベントも企画開催スタート、主なイベントとして、DAY BREAK・匠タクミ・KAANカーンがある。

KAANは、UKアシッドテクノ」だけのイベントとして川崎[[CLUB CITTA']] や、[[横浜ベイホール]]で開催された。
 
[[2004年]]DJ活動を中止、翌年、SHOKO F名義最後の作品となるアルバムを発表。
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[[2006年]]から[[北野武]] 監督命名の『祥虎ラスプーチン・Shoko-Rasputin』として制作活動開始。
 
[[2007年]]1980年代後期頃、日本で最初に[[ハウスミュージック]]を導入したとされるバンド『 SODOMソドム』(現在[[THE SODOM PROJECT]])が、再結成する事になりオリジナルメンバーと共に[[打ち込み]][[マニピュレーター]]のパートとして楽曲制作都内を中心に[[新宿]][[ロフト (ライブハウス)|ロフト]]等、都内中心にバンド活動。
 
[[2008年]]には、[[チェンバロ]]奏者、有橋淑和<ref>[http://www.oursongs-creative.jp/profile/archives/17 有橋淑和]</ref>(ありはしすみな)とのFeeling Unit「淑虎・スミコ」を始動。
 
[[2008年]]にSODOMソドムを脱退 同年、[[チェンバロ]]奏者、有橋淑和<ref>[http://www.oursongs-creative.jp/profile/archives/17 有橋淑和]</ref>(ありはしすみな)とのFeeling Unit「淑虎・スミコ」を始動。
淑虎のライブスタイルは藤川祥虎が「PC・DTM・[[デスクトップミュージック]]」で制作したオケに古楽器チェンバロ生演奏を用いたライブ形式で、東京[[渋谷]]からスタート。
 
淑虎のライブスタイルは藤川祥虎が「PC・DTM・[[デスクトップミュージック]]」で制作したオケに古楽器チェンバロ生演奏を用いたライブ形式で、東京[[渋谷]]から活動開始。関西では、オルゴールミュージアム [[ホール・オブ・ホールズ六甲]]([[神戸]]・[[六甲山]])にてPhotographer『谷敦志<ref>[http://www.please-select.me/artists/atsushi_tani.html]<!--Atsushi Tan--></ref>』 映像担当『片山宏明』と共に「Sound Visual Installation.00℃ そして音楽は機械を愛した」が開催した
 
[[2009年]] [[福間健二]]監督作品『岡山の娘<ref>[http://d-mc.ne.jp/blog/musume/ 岡山の娘]</ref>』高松上映会に、「たびだち」と題した自身のサイレント映像作品で参加。この頃、都内から[[香川県]]に移住。