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→‎役牛としての飼養: 続日本紀には「食用に適する」との記述はないことを反映
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[[File:Tajiri.JPG|thumb|田尻松蔵と「ふくえ」号(名牛[[「田尻」号]]の母牛)]]
==== 役牛としての飼養 ====
[[兵庫県]]北部にあたる[[但馬国|但馬地方]]では牛が古来から飼育されており、[[平安時代]]初期に編纂された勅撰[[史書]]である[[続日本紀]]には、「運、輓運、食だけでなく牛車も最である」とある<ref>{{Cite web |author=[[農林水産省]]輸出・国際局 知的財産課 |url=https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/2.html |title=地理的表示 登録の公示(登録番号第2号) |date=2019-06-14 |accessdate=2021-07-24}}</ref>。このように但馬牛は、主に田畑を耕したり輸送をおこなったりするための役牛として、また食肉向けにも用いられていた。長命連産で繁殖力が強いため、但馬では生産がさかんに行われており、養父市場(現在の[[養父市]])・湯村市場(現在の[[美方郡]][[新温泉町]])などに牛市が立ち、[[畿内]]やその周辺へと取引されていた。小型で力強く、飼料の利用性がよい但馬牛は人気が高かった。
 
但馬牛の全国的価値を高めたのは、現在の兵庫県美方郡[[香美町]][[小代区]]の猪ノ谷地区で[[1797年]]に生まれた前田周助である<ref name="ojiro">[http://www.ojirokanko.com/ojiro_mura/html/ushi.html 小代の自慢!但馬牛(香美町小代観光協会)]</ref>。前田は、小代の谷で優れたメスの血統集団である「周助蔓(しゅうすけづる)」を形成した。蔓(つる)については後述する。