「王権神授説」の版間の差分

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==== フランス、聖マルクールの霊威 ====
[[File:Blason France moderne.svg|right|thumb|250px|フランス王家の紋章[[フルール・ド・リス]]。14世紀半ば頃に百合紋を巡って一つの説話が作られた。{{Squote|ある日、クローヴィスがコンフラとの決闘の準備をしている時に従者に甲冑を取りに行かせると、甲冑に普段の三日月紋にかわって、青地に百合が3輪描かれている。4度別の甲冑に取り替えさせるが、いずれも同様の百合紋がついている。そこでしかたなくこれを着て決闘するとクローヴィスは勝利を収めることができた。じつはこれはキリスト教徒であった妃クロティルドの計らいで、妃は百合紋を用いて決闘に向かえば勝利するであろうとの啓示を受けていたのだった。}}]]
[[File:Clovis I touching for scrofula.jpg|thumb|left|180px|フランク王[[クロヴィス1世 (フランク王)|クローヴィス]]の{{仮リンク|ロイヤル・タッチ|en|Royal touch}}]]
[[File:Louis XIV touching the scrofulous (crop).jpg|thumb|left|180px|「太陽王」こと[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]の{{仮リンク|ロイヤル・タッチ|en|Royal touch}}]]
[[フランス王国|フランス]]では[[カペー朝]]の初期、[[フィリップ1世 (フランス王)|フィリップ1世]]がおそらく瘰癧さわりをおこなったと考えられている。[[フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ4世]]の時代にはフランス全土ばかりか、全西ヨーロッパ規模でこの「瘰癧さわり」は評判となっており、教皇領である[[ウルビーノ]]や[[ペルージャ]]からも治癒を求める民衆がやって来ていることが確認されている。また中世を通じて医学書に瘰癧の治療法としてこの「瘰癧さわり」が記述されていた<ref>マルク・ブロックに従って実例を示せば、[[ジルベール・ラングレ]]の『医療概論』(13世紀前半)、[[ロジェ・ド・パルム]]および[[ロラン・ド・パルム]]の『外科学概論』に付された注釈(13世紀末〜14世紀初頭)、[[ベルナール・ド・グルトン]]の『医学の白百合』(16世紀以前)、[[ジョン・オヴ・ガジュデン]]の『実用医学』(16世紀以前)など。</ref>。一方で[[ルイ6世 (フランス王)|ルイ6世]]の時代には王旗や王冠が[[カール大帝]]の伝承にむすびつけられ、[[カロリング朝]]とフランス王権の間に観念的な連続性を生じさせた。
 
フィリップ4世のころには、この瘰癧さわりが「[[クロヴィス1世 (フランク王)|クローヴィス]]の洗礼に由来する。クローヴィスはキリスト教に改宗した[[メロヴィング朝]]君主であるが、中世フランスでは塗油されて聖別された」と誤って信じられていた。塗油された王の霊威によるものという観念があらわれている。そしてこの伝説は[[ノートルダム大聖堂 (ランス)|ランス大聖堂]]にクローヴィス以来の聖香油が聖瓶(サント・アンブール)に保管されており、王の即位式で王は聖香油を塗油され聖別されるという観念につながった。
 
中世末期になると、この瘰癧さわりに別個の聖マルクールの瘰癧治療信仰が混入し、区別がつかなくなった。マルク・ブロックによれば、中世末の王権論者は、すでに王権の聖性において「塗油」さえ問題にしなくなっていたという。マルク・ブロックは著者不明の説話集『果樹園の夢想』から次のような事例を引く、「王が塗油されて聖別されるのは見せかけだけに過ぎず、実際はフランス王権固有の聖性が王権の治癒能力の源泉である。なぜなら、ほかの塗油された国王たちは瘰癧を治癒することができないのだから。ここには明らかにフランス王権の優越性を主張する国民的な感情が見て取れる」。